名将・小嶺忠敏は変化を恐れず。選手に寄り添う指導で今年も全国へ (2ページ目)

  • 松尾祐希●文 text by Matsuo Yuki

 気がつけば、長崎県を代表するチームに成長し、県外からも選手が集まってくるようになった。だが、いわゆる"サッカーエリート"と呼ばれるような選手はひとりもいない。サッカーの能力が高くても、性格に一癖ある。あるいはプレーの平均値は高くないけど、一芸に秀でた選手。そんな彼らを鍛え上げ、多くの選手を育ててきた。

 選手権は今年で4年連続7回目の出場となる。一昨年はベスト8、昨年はベスト16に進出。Jリーガーも輩出し、世代別代表に名を連ねる選手も出てきた。一昨年の安藤瑞季はセレッソ大阪、昨年の鈴木冬一が湘南ベルマーレへ加入。蒔いた種は確実に芽吹きつつある。

 選手たちに愛情を持って接してきた小嶺監督。指導歴51年で培った引き出しを適切なタイミングで開けながら、子どもたちと向き合ってきた。ただ、昔のように厳しく指導するだけではない。時には自ら笑いを取りに行くことも多くなった。選手たちにとっては、抱いていたイメージとかなり違ったようで、2年生GKの梶原駿哉はこう振り返る。

「小学生の時から国見高時代の話を聞いていて、『監督は何かあったらすぐに走らせる。俺の比じゃない』と当時のコーチなどに言われていたので、厳しい指導のイメージがありました。なので、本音を言えば、長崎総科大附から誘いの話をもらった時は、あまり小嶺先生に会いたくなかったんです。でも、中学生の時に小嶺先生がわざわざ自分の地元である大分まで来てくれて、実際にしゃべってみたら全然違ったので驚きました」

 小嶺監督も「今は飴が7割ぐらい」と言って笑みを浮かべる。では、なぜこれほどまでに変わったのだろうか。理由は今の子どもたちにある。小嶺監督が年を重ねたことで"丸く"なったのもあるが、現代の子どもたちが、以前のようなメンタルの強さを持ち合わせていないことに起因する。

「国見や島原商の時は、選手たちが自分たちで感じ取りながら(行動)できていた。でも、今はそうした判断をできる選手が少ない。なぜかと言うと、家庭環境などが変わってきて豊かになったから。(子どもたちは)何でも言いたい放題、好き放題で、一歩家を出ればコンビニがある。何でも手に入って満足ができるので、自分たちが逆境になった時の力が発揮されるまでが遅いんです」

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