14年前の野洲高V経験者が目指す「セクシーフットボールの復権」 (3ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 試合は前後半で決着がつかず、1-1で迎えた延長後半7分。高校サッカー史に残るゴールが生まれた。田中雄大のサイドチェンジを起点に、乾のドリブルからのヒールパス、平原のスルーパスと鮮やかなプレーが連なり、中川真吾のクロスボールに瀧川が合わせ、勝ち越しゴールが決まったのである。

 決勝ゴールの場面は青木の目の前をボールが通過し、奥に走り込んできた瀧川がゴールを決めている。青木が振り返る。

「決勝戦のゴールは相手選手が僕の前にいたので、パスは来ないかなと思ったんです。でもどうしてもゴールを決めたくて、思いっきりダッシュしました。結局パスは来なくて、(瀧川)陽が決めたんですけどね(笑)。今見てもすごいゴールですよね。プロでやっていても、あれだけみんなが連動して決めたゴールはなかったですから」

 劇的ゴールで、頂点に立った野洲高。青木は「めちゃめちゃ楽しかった」という高校3年間を過ごし、ジェフユナイテッド市原・千葉に加入した。U-19日本代表にも選ばれ、U-19アジア予選・準々決勝のサウジアラビア戦では、日本をU-20W杯出場に導くゴールを決めるなど、ストライカーとして将来を嘱望されていた。

 プロとしてジェフ千葉やファジアーノ岡山、ヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬でプレーし、Jリーグ通算205試合出場、26ゴールを記録している。現役最後はタイのクラブの練習に参加し、高い評価を得たものの「アジア人とは契約しない」と理不尽な理由を告げられ、所属は宙に浮いた。

 ちょうどその頃、サッカーの世界しか知らない自分の将来に不安を感じていた青木は、「このあたりが引き際かな」と感じ、28歳の若さで現役を引退した。カテゴリーを下げてまで、プロにこだわるつもりもなかった。

「サッカーを辞めて、ファジアーノ岡山時代のチームメイトがやっているサッカースクールで指導をさせてもらったこともあったのですが、一度サッカーから離れてみようと思って大阪に行き、サラリーマンをしました」

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