「怪物くん」明神智和に見るサッカーの本質とプロという仕事 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by REUTERS/AFLO

「ACLで遠征した際に、宿泊したホテルの食事環境があまりよくなくて。みんなが食べられないだの、美味しくないだの、言っている時に、パッとミョウさんのほうを見たら、皿ごと食べる気ちゃうかってくらい、黙々と料理に食らいついていました」――2008年、安田理大(現ジェフ千葉)談

「ミョウさんが腰に手を当てて、肩で息をし始めたら気をつけて。それが本領発揮の合図だから。そんな姿を後ろから見ていて、『うわっ、すっげ〜!』って、感嘆の声をあげちゃうこともあって。そしたら、敵のFWが『いや、本当にすごいっすね』ってノッてくる(笑)。そんな選手はなかなかいない」――2011年、中澤聡太談

「ミョウさんほど、ボールを奪うことに対して職人肌の人はいない。だって『こっちを消しながら、あっちも消す』って、コースを一度に2つ消せるから。しかも、ここにいてほしい、この場所でボールを取ってほしい、このパスコースを切ってほしいっていう時に必ずいてくれた。だからミョウさんには......"怪物くん"を命名する!」――2011年、加地亮談

「一緒にプレーした記憶として今でも覚えているのは、僕がプロ1年目だった2011年のヴィッセル戦。終盤、足をつってしまった僕を、ミョウさんがずっと『最後までがんばれ』って励ましてくれて。ミョウさんもしんどい時間帯だったはずだし、実際、ボールがないところでは、ヘロヘロになっていたけど(笑)、あの人、何があっても絶対にサボらないし、最後までやり切る人でしたから。そんなミョウさんに言われた一言だから、すごく響いたし励まされた」――2019年、藤春廣輝(現ガンバ大阪)談

 たくさんの仲間に愛され、頼りにされ、驚かれながら、黙々とボールを追いかけ、食らいつき、勝つことを目指した24年。明神智和は、湿布まみれの現役生活を勲章に、次の扉を開ける。

(おわり)

明神智和(みょうじん・ともかず)
1978年1月24日生まれ。兵庫県出身。柏レイソルユース→柏レイソル→ガンバ大阪→名古屋グランパス→AC長野パルセイロ。1997年ワールドユース(現U-20W杯)出場(ベスト8)。2000年シドニー五輪出場(ベスト8)。2002年日韓共催W杯出場(ベスト16)。豊富な運動量と鋭い読みで相手の攻撃の芽を摘むディフェンシブハーフとして活躍した。

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