「怪物くん」明神智和に見る
サッカーの本質とプロという仕事

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by REUTERS/AFLO

引退、明神智和インタビュー(後編)

 12月8日、J3最終節のロアッソ熊本戦。AC長野パルセイロの明神智和が、24年間のプロ生活に終止符を打った。柏レイソル、ガンバ大阪、名古屋クランパスでの活躍はもちろんのこと、日本代表でも輝かしい実績を持つ彼は、J3での3年間も「とても幸せだった」と言う。

 引退を決断した彼に、一番の思い出を尋ねると「たくさんあるけど......」と前置きしたうえで、「やっぱり1996年にプロになれたこと」だと言う。あの時、勇気を持って踏み出した一歩がなければ今はない、と――。

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 背中を押してくれたのは、2013年に他界した父だ。ラストマッチを観戦に訪れていた母・朱美さんが教えてくれた。

「当時は、まだプロが始まって間もない時代。私は『大学に行ってからでも遅くないんじゃないの?』みたいな話をしたのですが、主人は『2〜3年、遠回りしたって、人生をやり直すには遅くない。やりたいならやればいい。ただし、1〜2年はチームが面倒を見てくれるだろうけど、そのあとはわからないぞ』と。

 それに対して智和も、『その時には、僕に力がなかったということだから、しっかり受け入れて、次のことを考えるから』と言っていたのを覚えています。そこから、24年ですからね。決して大きくはない体で、よくがんばったと思います。とくにここ4〜5年は、環境も変えながら、大変なところもあったと思いますが、主人も空から応援してくれていたのかもしれません」

 加えて言うならば、ルーキーイヤーとなったその年、当時の柏を率いるニカノール監督によって、Jリーグ開幕戦のスターティングメンバーに抜擢されたことも、彼にとっては、のちのキャリアを語るうえでキーになった出来事だ。そこで味わった、プロサッカー選手としてプレーすることの醍醐味は、その欲を大きく膨らませた。

「プロにはなれたものの、高校の頃からまったくの無名選手で、トップチームに昇格した時も、きっと周りの先輩選手にしてみれば、『誰だ? こいつは?』くらいの感じでしかなかったと思います。でも、当時のニカノール監督は、知名度や年齢をまったく気にすることなく、ユースから昇格してきた何も知らない僕を開幕戦で起用してくれた。

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