ヴェルディ永井監督が陶芸家から学んだ「芸術としてのサッカー」 (2ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

「夕方に到着し、工房の隣にあるアトリエで待っていた。しばらくして大嶺先生が現れて、『君はずいぶん、色の黒い青年だねえ』と柔和に微笑まれたのが印象的だった。大嶺先生は、サッカーのことも、自分がどういう者かもご存知ない。でも、一緒にいた奥様がお茶を淹れて下さり、そこから3時間くらい、お話をさせていただいた」

 沖縄という土地、文化、器、そして芸術について。いずれも永井の心に響く話ばかりだった。そんな時間を過ごすうち、永井は大嶺氏にこれだけは伝えたいと思うことが出てきた。

「『僕は今日、大嶺先生の器に感動して、それを伝えたくて来ました。僕も大嶺先生の作品のように、『サッカー』という作品で人々を感動させたいと改めて思いました。自分はサッカーも芸術だと信じています』と話した。大嶺先生は、『そのとおりだ』と答えた。『サッカーそのものはよくわからないが、スポーツだから勝ち負けで評価される世界かもしれない。でも、観て楽しむ人がいるのだから感動させることは大切だ。そういう意味では、私もサッカーは芸術のひとつだと思う』とおっしゃった。

 自分はずっと、サッカー選手として勝ち負けで評価される世界で生きてきたし、結果がすべてと考えていた時期もあった。でも、ある時期から『サッカーのすばらしさはそれだけではない』と思い始めた。サッカーも芸術と同じで、人々を感動させ、心を豊かにしてくれるもの、という思いは、大嶺先生と出会って確信に変わった」

 以来、永井はFC琉球の選手時代、練習が終わればほぼ毎日、工房やアトリエを訪れるようになった。大嶺氏がいない日も訪ねては奥様にお茶を淹れていただき、作品を眺めて何時間でも過ごした。

「いつ来てもいい」「好きなだけ居ていい」「さよならはいらない」

 いつしか永井にとって、大嶺氏の工房は心の拠り所になった。

「遠征や沖縄にいない時以外は、ほぼ毎日通い続けた。正直、大嶺先生と出会う前は沖縄もそこまで好きではなく、サッカー選手として、お金を稼ぐための仕事場としか考えていなかった。でも大嶺先生と出会えて沖縄のよさもわかった。いまは、沖縄は第二の故郷と思っている」

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る