小野伸二は沖縄でジーコになるか。FC琉球会長が語るビッグな近未来 (2ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

 もともと、小野とは『わりと長いお付き合いです』という。しかし、それだけで心が動くはずもない。FC琉球の予算規模は、J2ではダントツの最下位。クラブハウスもなく練習場も転々とするなど、環境も恵まれているとは言い難かった。小野はそれでも、倉林の「沖縄をサッカー王国にしたい」という思いに共感し、新しい挑戦の場として沖縄を選んだのだった。

「自分はプロ選手としてやっていたわけではありませんが、子供の頃からサッカーで育って、友達もサッカーを通じて作ってきました。サッカーに対しての愛情や恩返しの気持ち、選手に対してのリスペクトもすごく強いですし、経営の根本にそうした思いがあります。そこは、メリットかなとは思います」

 生まれも育ちも東京の倉林は、小学校から高校まで所属チームでキャプテンを任されるほどサッカーに熱中した。東京大学在学中も社会人クラブの練習生としてプレーするなど、サッカー熱が冷めることはなかった。

 同時に起業にも目覚めた倉林は、パキスタンからのフェアトレードでサッカーボールの製造販売を始め、オリジナルブランド『sfida』を立ち上げた。ちなみに『sfida』とは、イタリア語で「挑戦」という意味だ。同社のフットサルボールは、Fリーグ公式球にも採用されている。

 現在、事業はサッカー・フットサルボール、スポーツウェア販売のほか、全国にあるフットサルコートの運営、IT を活用した新たなフットボールサービスの提供など、広くスポーツを楽しむ環境づくりにまで年々拡大している。

 FC琉球との関係は、J3に昇格した2014シーズンから3年間、ウェアのサプライヤー契約を結んだところから始まった。その間、社長が3度も交代するなど経営が苦しいことは理解していたが、まさか自分が社長に就任するとは考えてもみなかったという。

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