J2降格、五輪落選、ケガ。青山敏弘はしつこいくらい何度も這い上がる (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • (株)サンエス秋田耕二●撮影 photo by Akita Koji

―― 伝統というものは、そうやって少しずつ受け継がれていくというか。

青山 うん。その選手が「青ちゃんも昔はこんなふうに感じていたんだね」って言うから、「そうだよ」って。結果も大事だけど、それと同じくらい、このクラブが大事にしてきたものがある。

 他のチームからするとちっぽけなことかもしれないですけど、サンフレッチェ広島がサンフレッチェ広島であるために、大事なものは絶対に失っちゃいけない。それは言葉で伝えるというより、自分自身がそれを大事にしてやっていく。そういうことを、和さんや(森﨑)浩司さんに教わってきたと思っているので、そこは絶対に譲れないと思っていますね。

―― 9月14日の横浜F・マリノス戦ではJ1通算350試合出場を達成しました。どう感じています? 単なる通過点に過ぎないですか?

青山 自分にとっては、すごく大きな数字だと思いますね。

―― それは、若い頃からケガが多かったから?

青山 いや、純粋にこれだけ多くの試合に出させてもらった、ということに関してですね。歴代の監督に感謝したいですし、見守ってきてくれたファン、サポーターの方々にも感謝しています。350試合、すべてサンフレッチェで経験したもの、すべてサンフレッチェのファン、サポーターの方々と積み上げてきたものなので、たかが数字かもしれないですけど、僕にとってはすごく大きな350試合ですね。

―― こうして大きなケガを乗り越えて戻ってきて、パフォーマンスもコンディションも上り調子の今、現役への想いも膨らんでいたりするんですか? 「よし、40歳までやってやるぞ」というような。

青山 何歳までというのはないですけど、「ずっと現役でいたい」「サッカー選手であり続けたい」っていう想いは常にありますね。「サッカー選手は夢を与える存在じゃなきゃいけない」ってよく言いますけど、僕が一番、夢を追っかけているなと思っていて。だから、ボロボロになるまでやりたいし、それこそ、それが自分の夢だし。その夢をこのチームとともに叶えたいな、と常に思っているので(笑)。

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