永井秀樹の考えをポルトガル語で「超訳」。再建を支える異色のコーチ (2ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

 菅原本人は「私は同時通訳で完璧にポルトガル語で話せる能力は、正直ありません」と謙遜する。しかし、実際ブラジル出身選手が短期間で馴染み活躍する姿を見るにつけ、菅原の目に見えない部分での貢献、プライベートでも時間を共にする配慮は、3人の活躍に少なからず貢献しているはずだ。

 そんな菅原だが、実はブラジル生活はわずか1年なのだ。小6からヴェルディ育ちの菅原は22歳の時、ブラジルの名門FCサントスでプレーした経歴を持つ。契約は1年を待たずに打ち切られたものの、たったひとりで異国に飛び込み、通訳もいないなか、言葉もゼロから覚えて、生き残りをかけてハングリーに戦った濃密な時間は、今の仕事にも少なからず影響を与えていた。

「今、海外選手を受け入れる側になった時、彼らの緊張感、プレッシャー、言葉の壁、プライベートな悩みまで、自分自身も苦しんだからこそ『少しでも助けになりたい』という思いは選手時代からありました。今はコーチという立場から、彼らが少一日でも早く日本の生活に馴染み、ピッチ内・外において仲間と信頼関係を築いていけるように、本来の力を発揮できるようにサポートしたい、と考えています」

 もうひとつ、菅原には重要な役割があった。本業のコーチとしての、守備面での貢献である。

 永井は菅原について「現役時代も一緒にプレーしたけど、危機察知能力に優れた選手だった。ボランチが本職の菅原コーチがいるおかげで、うまくバランスがとれている(永井監督、藤吉信次、保坂信之両コーチとも現役時代は攻撃主体の選手)」と信頼を置いていた。

「相手守備の分析を映像にまとめて提出します。自チームの守備の改善点についても同様の作業をします。それを監督、コーチングスタッフで共有し、意見交換したあとに、選手全員と共有します。

 永井さんが監督に就任された当初、『自分だけではなくて、より多くの目があるからこそ様々な気づきがある。あらゆる角度から分析したり、俯瞰したり、そういう風に、スタッフみんなで戦っていきたい』と話された。うれしい気持ちと同時に、『私を必要としていただける以上、クラブのために、まずは自身が成長すること、選手として少なからず経験してきたこと、指導者として経験してきたことを還元していきたい』と心の中で覚悟を決めて、今日に至っています」

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