ドリブラーから華麗に変身。38歳・松井大輔がボランチで新境地 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 結局、グルノーブル移籍で調子を取り戻し、迎えた2010年の南アフリカW杯でベスト16入りの主軸を担ったのが、おそらくキャリアのピーク。本来であれば年齢的にも現役の総仕上げにさしかかると思われたが、W杯終了後にスポルティング(ポルトガル)移籍が直前で破談になったことをきっかけに、また日陰での生活を強いられた。

 極寒の辺境地トム・トムスク(ロシア)での半年間のレンタル移籍。シーズン後半戦はグルノーブルに戻ってリーグドゥに逆戻り。復活を期して移籍したリーグ・アンのディジョンではフィットできず、上を目指す若手に混じってアマチュアリーグでプレーした。W杯出場経験者にとってこれ以上の屈辱はない、まさにドン底だ。

 その後、スラヴィア・ソフィア(ブルガリア)、レヒア・グダニスク(ポーランド)でプレーした松井は2014年、当時J2だったジュビロ磐田に移籍。キャプテンマークを巻いてチームの中心となり、ようやくプロサッカー選手として充実の日常を取り戻すこととなった。

 だが、それも束の間。シーズン終盤戦にはベンチが定位置となり、その後もJ1昇格を果たしたチームのなかで居場所を失ってしまった。

 そんな自分にハッパをかけるべく、再びポーランド2部のオードラ・オポーレに新天地を求め、その半年後には2018年冬に横浜FCに加入。しかし、すでに36歳になった松井は即戦力として期待されていたわけではなく、出場機会は主に途中出場で9試合。3位に食い込んだチームがJ1参入プレーオフ(東京ヴェルディ戦)を戦った時は、ベンチに入ることさえできなかった。

 ところが、そのキャリアがフェードアウトしそうな雰囲気もあった今季、これまで何度も挫折を乗り越えてきた男が突如、目を覚ましたのである。それは驚きでもあるが、過去を辿れば納得でもあった。

 松井にとって幸運だったのは、前任者のタバレス監督が、「松井は欧州を経験しているだけあって、サッカーをよく理解していて、どこのポジションでもプレーできる能力がある」と、リベロやサイドバックで起用したこと。そして、そのプレーぶりをアシスタントコーチとして見ていた下平現監督が、バトンを受け継いだことだった。

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