習近平も強化を後押し。菊原志郎に聞く中国サッカー育成現場のリアル (3ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • photo by Sportiva

「基本的に僕らはクラブの要望に応える立場なので、彼らとうまくコミュニケーションをとって進めることが大切だと思っています。日本はこうだからと押しつけても、うまくいかないですよね。中国人と日本人が協力して、中国の子どもたちを成長させることがポイントで、広州富力の指導者みんなで良いクラブ、良いアカデミーをつくる。その結果、サッカーを通して子どもが成長できたり、関わる人たちが幸せになればいいなと思っています」

学校のグラウンドでの練習だが、施設はかなり充実している(写真は菊原氏提供)学校のグラウンドでの練習だが、施設はかなり充実している(写真は菊原氏提供)「サッカーに国境はない」とはよく聞くフレーズだが、菊原は海外で指導をすることで、日本にいるとき以上にそれを痛感しているという。

「いまはグローバルな時代で、誰とでもいい仕事をする能力が求められています。そのためには、自分の考えを押し通すだけではダメで、彼らの要望も聞き入れながら、お互いに歩み寄って良い方向へ進んでいかなければいけない。日本は25年前にJリーグができて、外国人選手や指導者から多くのことを学び、最近ようやく『日本代表は日本人監督で』という流れになってきましたよね。中国も、今後はそうなると思います。だから、僕らは中国人のコーチを教育し、彼らが一人前になるのをサポートする。それが結果として、中国サッカー全体の発展に寄与することになると思っています」

 広州富力では、日本人スタッフと中国人スタッフが連携して、子どもたちを育成する環境ができ始めているという。菊原は2019年秋より、ヘッド・オブ・ユースアカデミー・コーチングとして、日本と中国で培ってきた経験を注ぎ込み、アカデミーのスタイルを確立し、子どもたちをさらに成長させるというミッションに挑むことになる。そこにはアジアのライバルなどという、ちっぽけな視点は一切なく、ひとりのグローバルなサッカー人として、クラブの発展と選手の成長に向き合うつもりだ。

菊原志郎
きくはら・しろう/1969年7月7日生まれ、神奈川県出身。小学4年生から読売クラブ(現東京ヴェルディ)でプレー。16歳でトップチームの試合にデビューし、以後同クラブの中心選手として活躍。Jリーグではヴェルディ川崎、浦和レッズでプレー。引退後は東京ヴェルディの育成組織や、U-17日本代表、JFAアカデミー福島、横浜FMジュニアユースでコーチや監督を務める。2018年より中国の広州富力のアカデミーで指導を行なっている。

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