巻誠一郎がブラジルのレジェンドから学ぶ「多様なセカンドキャリア」 (4ページ目)

  • 鈴木智之●文 text by Suzuki Tomoyuki
  • photo by aiwell

エジミウソン はい。そのようなところからサッカー選手のキャリアをスタートさせて、自分がサッカーを辞めるタイミングの時に、セカンドキャリアに向けて自分の価値を把握し、できることを明確にしていきました。サッカー関係のアンバサダーをしていますが、リヨンやバルセロナでプレーした経験、サッカーで築いた信用と実績を次のキャリアにどう生かすかという見極めは、現役の時からしていましたし、あらゆる可能性を追求しました。

 それが、現在の多様なセカンドキャリアにつながっているのですね。僕も同じように自分の価値に気づき、サッカーだけでなく、医療や福祉、教育の仕事にも、自分がアスリートとして経験してきたことを還元できるのではないかと思いました。アスリートは人一倍、健康に目を向けています。その意味ではaiwellで実用化した微量採血を基にした健康診断、コンディションチェックは、一般の人にもすごく価値のあるものだと思いますし、ケガや病気の予兆を判断する技術も実用化しています。増大する日本の医療費を削減するためにも、さまざまな発信ができればと思っています。

エジミウソン サッカーの現役生活が終わったあとに、次のキャリアに向かって進めない人は、自分の価値を知らない、気づいていないのかもしれません。私はブラジル代表で2002年日韓W杯に優勝し、UEFAチャンピオンズリーグでも優勝することができました。サッカー人生としては、これ以上ないものだと思います。このすばらしいキャリアを、サッカーの世界だけで終わらせてしまうのではなく、セカンドキャリアも勝者でいたい。だから、いま関わっている多くのプロジェクトも、絶対に成功するんだという信念を持って取り組んでいます。

 お話ししていく中で、サッカー界だけでなく、サッカーを通して社会を良くしたいという気持ちを感じました。アスリートには社会的な価値があり、世の中に発信する力もあります。エジミウソンさんの活動に感銘を受けますし、私が考えていること、思想とすごく近いものがある。お会いできて良かったです。

エジミウソン 巻さんが、ジーコさんが日本代表監督だった時の選手だというのも知っています。(巻選手が出場した)2006年のドイツW杯は、私はケガをして最終選考でブラジル代表を辞退したのですが、このような縁で知り合えたのはすごくうれしいです。話をうかがう中で、巻さんが目標を立てて、さまざまな取り組みをしているのは伝わってきましたし、共通している部分だと思います。今後、お互いのステージでより高い場所を目指せるように、刺激し合いながらやっていけたらと思います。ありがとうございました。

エジミウソン
Jose Edmilson Gomes de Moraes/1976年7月10日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。地元のサンパウロやフランスのリヨン、スペインのバルセロナでMFやDFとして活躍し、数々のタイトル獲得に貢献。ブラジル代表メンバーとして2002年日韓W杯優勝も経験している

巻誠一郎
まき・せいいちろう/1980年8月7日生まれ、熊本県出身。ジェフユナイテッド千葉→アムカル・ペルミ(ロシア)→深圳紅鑽(中国)→東京ヴェルディ→ロアッソ熊本でプレーし、2018年に現役を引退。日本代表国際Aマッチ38試合出場8得点。2006年ドイツW杯のメンバー

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る