2019.09.04

原発事故の影響を乗り越えて
Jヴィレッジ再開も、活況復活には課題山積

  • 松尾祐希●取材・文 text by Matsuo Yuki
  • photo by Matsuo Yuki

 Jヴィレッジから徒歩15分、広野町の旅館岩沢荘は今もサッカーチームを受け入れている数少ない施設だ。震災前からJヴィレッジを支え、クラブユース選手権や全日本少年サッカー大会が開催されれば、3チームほどを一挙に引き受けて選手たちをバックアップ。過去に泊まった子どもたちの写真や寄せ書きを見れば、その歴史がわかる。

現在もサッカーチームを受け入れている旅館岩沢荘 震災後に少し整理されたそうだが、杉森孝起(名古屋)の寄せ書きや萬代宏樹(ラインメール青森)のサインなどは、今もロビーに飾ってある。

「あのころは小学生を対象としたふたばカップ、全日本少年サッカー大会、クラブユース選手権のU-18、U-15が始まった。女子も大会があって、子どもたちがたくさん来ていたね」

 こう話すのは、今年で63歳を迎える社長の吉田稔さんだ。長年に亘り、この地で選手たちの成長を見守ってきた。震災後も営業を続けてきた中で、周辺の宿事情はどう変わったのか。話を聞くと、地元の人にしかわからない葛藤や想いがあった。

 岩沢荘の歴史は古い。開業したのは1979年。当時はそこから火力発電所の作業員や久之浜にやって来るサーファーなどの常宿として活用されていた。1990年代になると、温泉ブームが到来。露天風呂を新設すると宿泊者が増えた。

 そこから周辺にスポーツ施設ができ、バトミントン、剣道、ゴルフなどの大会で訪れた人たちが足を運ぶようになる。1997年にJヴィレッジが開業すると、サッカー関係者が泊まるようになった。

 そこへ、東日本大震災が起こった。

「震災があって、俺たちも終わり。はっきり言って、Jヴィレッジが原発作業員の拠点になって、子どもたちは絶対に来られないだろうと思った」

 岩沢荘が運営する3つの宿は幸いにも損傷が少なく、2カ月後に営業を再開できた。その一方で周辺を取り巻く環境は激変した。以前はJヴィレッジ周辺に点在する複数の宿に協力を要請し、全国規模の大会の際には大人数を一挙に受け入れる体制を構築していた。