原発事故の影響を乗り越えてJヴィレッジ再開も、活況復活には課題山積

  • 松尾祐希●取材・文 text by Matsuo Yuki
  • photo by Matsuo Yuki

 日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターとして、Jヴィレッジがオープンしたのは1997年。5000人収容のスタジアムや11面の天然芝フィールドと宿泊施設やレストランが併設され、日本代表やJクラブなどが合宿に活用した。

営業を再開しているJヴィレッジ営業を再開しているJヴィレッジ 2002年の日韓ワールドカップではアルゼンチン代表のベースキャンプ地となり、初の育成学校であるJFAアカデミー福島も活動拠点にしていた(現在は静岡県の御殿場市で活動中)。日本サッカー界の発展を支えてきた施設といっても、過言ではないだろう。

 しかし、2011年3月11日。東日本大震災によって、福島県双葉郡大熊町にある福島第一原子力発電所にも津波が及び、炉心融解が発生。放射性物質が放出される事態となった。

 以降、近隣住民の生活は一変し、一帯は避難区域に指定された。近隣の楢葉町に位置するJヴィレッジも大きな影響を受け、3月15日からは国が管理する原発事故の対応拠点となり、本来の用途で使えなくなった。

 あれから8年。Jヴィレッジが本来の姿を取り戻し、再び動き出している。2018年7月に使用が一部再開され、今年4月20日に完全復活。ピッチは整備され、ホテルやレストランも営業を行なっている。A代表こそ訪れていないものの、世代別代表や女子代表はこの地で汗を流した。選手の声、ボールを蹴る音。徐々に来客数も増え、事故前と変わらない光景がそこに広がっている。

 以前のように、育成年代の全国大会を開催できる日も戻ってくれば......。しかし、それには乗り越えるべきハードルが複数あり、カギになるのが宿泊施設の確保だ。Jヴィレッジ内のホテルだけで参加選手数をさばくのは難しく、近隣の宿泊施設の協力は必須なのだが、震災前に構築していた体制を復活させられるかどうかがわからない。

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