サッカーユース年代が急激に進化!名古屋U-18の完勝が証明している (2ページ目)

  • 後藤健生●取材・文 text by Goto Takeo
  • 木鋪虎雄●写真 photo by Kishiku Torao

 前半、ゲームを完全に支配していた時間帯に4点目を奪えていればもっと楽に勝てたのかもしれないが、なにしろ猛暑(決勝戦開始時点で33.2度)の中10日間で7試合目という状況を考えれば、80分間つねにフルパワーで攻撃を仕掛けるのは無理な話。2点をリードしたあと、攻撃を自重したのは的確な判断だったと言うべきだろう(古賀聡監督によれば「ベンチからは何も指示はしていない」とのこと)。

 さて、今年の大会でクラブユースは第43回を迎えた。

 大会プログラムを見ると、第1回大会(当時の大会名は「ユースリーグ」)が開かれたのは1977年のことだった。U-18年代は高校サッカーが全盛......。いや、それまでは高校以外のチームは存在すらしなかったのだ。

 そして、高校サッカーでは「蹴って走る」サッカーが全盛の時代で、根性論や経験主義の指導がまかり通っていた。そんな高校サッカーのあり方に疑いを持ち、テクニック重視の指導を始めた枚方FC、読売サッカークラブユース、神戸FCユースの3つのクラブチームが集まって開いたのが第1回ユースリーグで、枚方が優勝。しかし、クラブチームが発足してからも、高校チームと公式戦で対戦する機会は与えられなかった。

 その後、クラブチームは次第に増加し、高円宮杯全日本ユース選手権という形で高校チームとの公式大会が設けられたのが1989年。しかし、当初クラブチームは強豪高校の前に歯が立たなかった。

 その後、Jリーグが発足すると、いわゆる「街のクラブ」に代わってJリーグクラブの下部組織が主流となってくるが、それでも高校優位の時代が続き、高円宮杯でクラブチームが優勝したのは1999年のジュビロ磐田ユースが最初だった。高校チームのフィジカルの強さや勝利へのこだわりの前に、クラブ側は勝負では敵わなかったのだ。

 こうした時代にクラブチーム側は「勝負へのこだわりでは高校のほうが上だが、テクニックではクラブが上」といった意識が強く、テクニック中心の指導が行なわれていた。

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