ベガルタ、またも埼スタで勝てず。「鬼門」は己の意識のなかに作られる (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 しかし、関口の判断は、果たして間違いだったのだろうか。

 前半終了間際という時間帯を考えれば、確かに軽率だったかもしれない。0−0で前半を終えていれば、後半に違う展開が待っていた可能性もある。しかし、後方で待ち構えているだけでは、いずれ破綻してしまう危険性もあった。

「前で取れるチャンスを何回か増やさないと、攻撃の選手も前に出ていけない」と平岡が言うように、得点を奪うこともできなかっただろう。どこかで取りにいく必要があったのは、確かである。椎橋の退場も、受け身になりすぎたことが招いた必然だったと思われる。

 そもそも、高い位置からの守備こそが、好調の要因であったはずだ。もちろん、システムのかみ合わせによる影響があったとはいえ、前節で戦った北海道コンサドーレ札幌も、浦和と同じ3−4−2−1のシステムを採用している。「札幌に対しては、行けるところは行けていた」と関口が言うように、その試合では前から奪いにいく守備がうまく機能していたのだ。

 であれば、浦和相手にも、その意識を保ってよかったのではないか。こればかりは、結果論だろう。

 後ろで構えることで、浦和にほとんどチャンスを作らせなかったのは事実である。逆にハイプレスを仕掛ければ、ショートカウンターから得点機を生み出せたかもしれないし、逆に相手にスペースを与え、大量失点を招いたかもしれない。

 ただ、ひとつだけ言えるのは、仙台とすれば、もったいない試合をしたということだ。4連勝という最高の状態でこの試合を迎えながら、苦手意識を払拭できず、必要以上に相手を警戒しすぎてしまった。

 積極的な守備で結果を出していた連勝中の戦いを継続していれば、いい結果を手にできていたかもしれない。流れは間違いなく、仙台のほうにあった。その意味で、実にもったいない試合だった。

 おそらく鬼門とは、自らの意識のなかに作られるものなのかもしれない。

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