伊藤翔は海外→日本の移籍で苦労「小野伸二さんに教育してもらった」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

――大きなケガをしてしまったというのも、考えようによっては、若いうちから身体に気を配れる良いきっかけと考えることもできますね。

「そうですね。学生時代は身体のことなんて、考えなくても大丈夫だったじゃないですか? でもプロになったら、負荷がまったく違うから、何もしないままだと通用しない。やらないと、このまま終わっていくなというのは感じましたね。それで1年くらいでケガをしてしまったので、さらに危機感は強くなった。ただ、フランスにいたときは、自分の身体の仕組みや形というのをわかっていなかったんだと思います。だから、復帰までに時間もかかりました。長く現役でプレーし続けるのであれば、身体のケアというか、自分のことを知っておかなくちゃいけない。自分が人からどう見られているのかも含めて。そう考えると、松井さんをはじめ、日本へ戻ってきてからも、いろんな人との出会いがあったからこそ、ここまでやってこられたんだと痛感しますね」

――清水へ移籍したときに苦労したと話していましたが。

「海外から、日本に帰ってきたときは、いろいろなシステムや習慣、考え方も違うので、清水で学んだことは大きいですね。小野伸二さんにかわいがってもらって、日本の社会はこうなんだ、というのをしっかり教育してもらいました(笑)」

――帰国子女みたいな感じですね(笑)。

「同時に身体を作り直すところからスタートしなくちゃいけなかったんです。自分のプレーを考えたときに、たくさん筋肉をつけて、重くなると動けない。それをわかりながらも、フランスではトレーニングをやらされるし、自分自身でも、向こうの筋骨隆々の選手を見て、『自分もやらなくちゃ』と思ったし、自分を見失ってしまったような感じだったんだと思うんです。だから、身体のバランスも悪くて、ケガをしたと思うんですよ」

――そして、横浜を経て、鹿島への移籍。30歳での新しいチャレンジとなりました。ひと昔前であれば、30代に入ると「引退」と言われる時期もありましたが......。

「そうですね。でも、いつの間にか、Jリーグでの選手寿命もとても長くなりましたからね。40歳くらいまで戦っている人も少なくないですから。横浜では(中澤)佑二さんや俊さん(中村俊輔)もいましたし、うちにもソガさん(曽ヶ端準)がいる。上の人たちが頑張ってくれることで、選手寿命が延びることは本当にいいこと。だから僕自身も、30歳だからというふうに年齢を気にすることはまったくなかったです」

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