ミスター甲府が実感したJリーグの発展「昔のバス移動はつらかった」 (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi

―― 一緒にプレーされたチームメイトのなかには、国内はもちろん海外のクラブに移籍した選手もいます。一方で、ヴァンフォーレひと筋の選手生活を送った石原さんは、自身のキャリアについてどのように考えていましたか?

 山梨県出身ですし、拾ってもらった地元クラブへの恩返しを優先したいと思っていました。移籍するつもりもなかったので、代理人もつけていなかったんですよ。さまざまなキャリア観があると思いますが、現在クラブのアンバサダーとして活動させてもらっているのも、長年ヴァンフォーレ甲府の選手として過ごしてきたからこそだと思っています。

――2017年シーズン限りで引退を決断しましたが、何かきっかけがあったんでしょうか。

 日常生活や日々のトレーニングをこなすなかで、選手としてのタイムリミットに気がつきました。今でも難しい判断だったと感じています。選手である以上はレギュラーになりたいですし、試合に出たら「もっとできるはずだ」と思いますから。

――甲府は、地域に根ざした活動を積極的に行なっている印象を受けますが、アンバサダーという立場になって、広報活動や運営について感じたことはありますか?

 現役時代も子供たちと一緒にボールを蹴ったり、クラブの広報活動に携わったりしてきたつもりだったんですが、"つもり"だったということに気づいたのは引退後のことです。選手だった時は、クラブ運営がこんなに大変なものだとはまったく想像できませんでした。自ら試合会場を設営してくれる海野一幸会長や、ボランティアのみなさんの姿を見て、感謝の思いがより強くなりましたね。今は、「みんなのために絶対勝ってくれ」って思いますもん(笑)。

――アンバサダーに加え、チームの指導者としてのキャリアもスタートされましたね。

 まだまだ駆け出しですが、ヴァンフォーレ甲府アカデミーでのコーチや、スカウトとして活動しています。引退後は「スカウトになりたい」と思っていたので、希望を聞いてくださったクラブには感謝の気持ちしかありません。

 コーチとしては小学校低学年の子供たちを指導していますが、みんな真面目ですし、平均してレベルが高い。誰にでもプロで活躍できる可能性があると思っています。将来的にはアカデミー出身のプロ選手をもっと増やしていきたいですね。地元出身の選手が増えれば、サポーターも増えるでしょうし、地域に愛されるクラブ作りにもつながりますから。

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