プロ1年目。腐りかけた那須大亮を救った中澤佑二や松田直樹らの言葉 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「興味があったら獲得してください」

 そのひと言がきっかけとなり、またポテンシャルとしても十分にプロの世界で通用すると評価を受けて、那須は大学に籍を置いたまま、F・マリノスに加入した。

 だが、そのルーキーイヤーは理想とはほど遠い1年になった。経験豊富なチームメイトとの競争にさらされ、自身の力のなさを痛感するばかりで、公式戦の出場はカップ戦を含めてもわずか4試合と、プロの厳しさに直面した。その状況に腐りかけた時期もあったが、中澤佑二や松田直樹、奥大介ら先輩選手にかけられた言葉に救われた。

「試合に出ていない時に何ができるかだ」(松田)

「やり続けろ。コツコツがんばる先にしか、楽しさは味わえない」(中澤)

 転機が訪れたのは、岡田武史監督が就任したプロ2年目だ。このシーズン、本職のセンターバックではない"アンカー"という役割を与えられた那須は、開幕戦からスタメンに抜てきされ、出場停止の1試合を除くすべての試合にフル出場を果たす。しかもチームは、ファーストステージ、セカンドステージともに首位に立ち、那須は"完全優勝"の立役者になった。

「ボランチにもすごい選手がたくさんいたので、起用してもらっただけでも驚きだったのに、まさかタイトルを獲れるなんて思ってもみなかった。僕の守備力を買ってくれた岡田監督が、『これだけをやってくれ』という明確な役割を与えてくれたことで、何とかプロのスタートに立てました。

 結果的に、その年に完全優勝を経験できたことは、のちのキャリアを重ねるうえですごく大きかったけど、あの時は本当に周りがすごい選手ばかりでしたから。僕がパスを散らしてゲームを操るというより、『パスコース=大さん(奥)』『パスコース=アキさん(遠藤彰弘)』みたいな感じで、彼らに(ボールを)預けさえすれば、『あとはなんとかしてくれる』という感じで、僕は監督に求められた仕事をすることだけで精一杯でした」

 与えられた役割をこなすだけではなく、「自分がチームを助けるプレーをしよう」と考えるようになったのは、2008年の東京ヴェルディを経て、2009年にジュビロ磐田に移籍してからだ。この頃から過去の経験をもとにプレーの幅が広がり、どのポジションを預かってもいい意味での力みが取れ、余裕を持って試合を進められるようになった。

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