神戸リージョ監督が見た日本。「しょうがない」という言葉に思うこと (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki photo by Fujita Masato

「(指導者は)なぜそれをするのか、ということを、とことん選手に説明し、納得してもらわないといけない。たとえば、リトリートひとつをとっても、下がるのが遅すぎても、早く下がりすぎても効果は出ないんだよ。ポゼッションにしても、日本では"常に選手同士が近づいて"というのが基本になっているが、そんな定義はない。プレーの意味を、ひとつひとつ考え、決定することが大事だ」

 筆者がリージョと出会ったのは、スペインのサラマンカ。23年前のことになる。当時、史上最年少の29歳で1部リーグのクラブを率いていた彼は、同じ論理をかざしていた。「フットボールの定理」のようなものが、そこにはあった。

 それは少なくとも、「勝ち負け」ではない。

「試合の内容と結果は、必ずしもイコールで結びつかない」

 むしろ、それがリージョの論理である。たとえ2-0と勝っている試合でも、ハーフタイムに選手を叱りつけたこともあった。スコアに気を緩めていたからだ。一方で、0-2で負けていても、ハーフタイムでいいプレーを褒め、修正だけを施し、3-2で勝った試合もある。選手たちは指を3本立て、リージョに駆け寄った。
 
 そんな名将だけに、すでにJリーガーたちの人気も集める。

「日本人が日本人を信じている以上に、私は日本人を信じている」

 リージョは、思いを込めるように語った。

「(神戸の選手は)トレーニングでガツガツできるようになっている。例えば、イノ(伊野波雅彦)は、練習から怖さを与えられる。ミヤ(宮大樹)も強度が増した。多くの選手が、かなりのレベルアップを見せている。今や、相手は中盤から前に簡単には進めないだろう。日本人のよさを引き出せば、自分たちがイニシアチブを取ったゲームが(神戸も)できるのだ。

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