「ドクトル・カズ」森﨑和幸が振り返る名監督たちとの出会い (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 加えて、ボランチの位置ならば、たとえかわされたとしても、後ろにはDFがいてくれる。それもあって、思いっ切りチャレンジできるようになったんです。あと......ストッパーでプレーした2006年は、自分自身もたくさん批判を受けました。その屈辱があったからこそ、ボランチに戻った2007年からは、絶対にボランチで見返してやるという反骨心が芽生えたんです。このポジションで、自分の存在価値を示してやると、ずっと思ってきましたから。

―― ペトロヴィッチ監督時代に確立し、その後、森保一監督(現・日本代表監督)も踏襲した3-4-2-1システムは、ボランチの底に森﨑和幸がいるからこそできるサッカーだと言われるようになりました。

森﨑 僕はそんなふうに思ったことは一度もないですけどね。あれはミシャが築いたサッカー。ボランチでありながら、最終ラインまで下がって、ビルドアップに加わるようになったのも、ミシャがすべての局面において、いかにして数的優位を作るかにこだわっていたからなんです。

 そうした思考を擦り込まれていたから、試合中に自然とそういうポジショニングを取ったんです。どうやったらチームがうまくいくか、どうやってゴール前までボールを運んでいくかを考えた末の判断。ミシャのサッカーは、もちろんベースはありますけど、究極のところでは、選手それぞれの状況判断に託されているところがあるんです。

―― そのペトロヴィッチ監督から教わったこととは?

森﨑 サッカーに対する思考が変わりましたよね。とくに日本人選手はポジションにとらわれすぎるところがあるじゃないですか。自分もそうでしたけど、たとえば中盤の選手がDFで起用されれば、まず「えっ?」という反応をしますよね。でも、ミシャにはそうした概念がなかった。前提として、いい選手であれば、どのポジションでもできるという考えがある。

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