2018.12.29

「ドクトル・カズ」森﨑和幸が振り返る
名監督たちとの出会い

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 しかも、チームは成績不振だったから監督交代に踏み切ったわけで、ミシャ自身もその状況で監督を引き受けたわけだから、ひとりの選手のことを気にしている余裕なんてないはず。それなのに、どこか余裕があったというか、どっしりと構えているように見えたんです。

 その時、その言葉とともに言われたのが、「絶対に成長させてやる」ということと、「日本代表に選ばれるような選手へと成長できる」ということでした。実際、僕は代表に選ばれなかったですけど、当時チームにいた(柏木)陽介や槙野(智章)、(髙萩)洋次郎、それとアオ(青山敏弘)はそこまでの選手になりましたからね。

―― ただ、結果的に2度目のJ2降格となったその2007年、ボランチではなくDFとして起用されていましたよね。

森﨑 そうですね。ずっとストッパーで起用されていました。これも忘れもしない、京都サンガとの入れ替え戦です。アウェーでの第1戦に1-2で負け、ホームの第2戦を前に、「チームに迷惑をかけるくらいなら、自分を使わないでくれ」と、ミシャに言ったんです。それくらい、ストッパーでプレーしている自分は、チームに迷惑をかけてしまっていると感じていたんです。

 そうしたら、ミシャは第2戦の前日に、初めて非公開練習をして、僕をボランチで起用したんです。結果的にチームはJ2に降格してしまいましたけど、それ以降、なぜかずっとボランチを任せてくれるようになりました。

―― 思い返すと、自身の特徴でもあるボール奪取能力は、そのストッパー時代に身についたものではないですか?

森﨑 そうなんですよね。最終ラインでプレーしていると、どうしてもマッチアップするのは相手の攻撃的な選手になる。しかもどのチームも、前線には強烈な個性を持っている選手が揃っている。ストッパーとして、そうした選手と対戦する機会が多く、ボランチに戻ったときに、中盤には相手FWよりも怖い選手はいないなって思えたんですよね。中盤の選手って、うまい選手は多いですけど、怖いというのとは違うじゃないですか。だから、怖くないぶん、躊躇なくディフェンスにいけるようになったんです。