「ドクトル・カズ」森﨑和幸が振り返る
名監督たちとの出会い

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

―― でも、サンパイオの「試合を決め切るプレー」というものは意識していた?

森﨑 サンパイオほどではなかったですけど、多少はありましたね。だから、数は少ないですけど、J1で初優勝した2012年のガンバ大阪戦(J1第30節)の同点ゴールや、2015年のアルビレックス新潟戦(J1第8節)のゴールは、そうした意識から生まれたものでした。

 どちらも試合終盤に、するするっとゴール前に入っていって決めたもの。頭のどこかでサンパイオのプレーを覚えていたからこそだったと思っています。

―― 小野さんの次が、2006年途中より指揮を執ったペトロヴィッチ監督でした。

森﨑 ミシャ(ペトロヴィッチ監督)は監督である以上に、父親みたいな存在でした。選手としてはもちろん、本当に人としてもいろいろなことを学びました。何より、一番大切な「サッカーを楽しむ」ということを、もう一度、思い出させてもらったんです。

―― そのペトロヴィッチ監督との思い出を挙げれば、キリがないと思いますが、一番覚えているエピソードは何ですか?

森﨑 やっぱり、最初に会った時のことですかね。ミシャ(ペトロヴィッチ監督)は2006年シーズン途中に監督に就任したのですが、僕はそのころ、体調不良(※)で練習を休んでいたんです。でも、当時・強化部長だった織田(秀和)さんから、「新しい監督が練習場に来るから、もし来られそうだったら練習場に来てほしい」と連絡をもらったんです。自分自身も、ここで行かなければ、このままズルズルと練習を休んでしまうことになるという思いもあった。だから、妻にも背中を押してもらって、何とか練習場に行ったんです。

※これまで度々オーバートレーニング症候群や慢性疲労症候群を発症。今シーズン開幕前に5度目となる同症状で長期離脱していた。

 忘れもしないですよ。クラブハウスの2階にあるテラスでミシャと会ったんですけど、初対面なのにいきなり、「カズの好きなようにしていいから」って言われたんです。ビックリしましたよね。初対面だし、実際に僕のプレーを見たこともないのに、ですよ。

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