植田直通は「いつも難しいほうを選ぶ」だから鹿島入りを迷わなかった (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text&photo by Terano Noriko

――自身は6番手くらいですか?

「ほかのチームの中には、試合に出られそうだなというチームもありましたけど。今までの僕の人生はいつも、難しいほうを選ぶという選択をしてきたので、迷わず鹿島に決めました」

――加入早々のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でデビューしたものの、そのシーズンはカップ戦3試合に出場しただけで、リーグ戦には1試合も出場していないですよね。

「そうなんです。ゼロです(笑)」

――そこは覚悟していたとは思うんですが、それでも......悔しさもあったんじゃないんですか?

「悔しさは多少ありましたけど、腐ったりすることはなかったです。紅白戦には出させてもらっていたし、そこで学ぶことがたくさんあったので。当時は紅白戦にも出られない選手がいたし、1年目なんてそれが当たり前というような環境でしたから」

――Jリーグでそういう下積み時代を過ごしたことは、海外でプレーするうえで重要な忍耐力を培ってくれたのではないでしょうか?

「それは間違いなくそうですね。僕もそう思います」

――ポジションを獲っていくという意味では今も鹿島時代と同じような立場を経ていると思うのですが。

「僕は1年目だけじゃなくて、ベンチのシーズンがたびたびあったので、そういうときの経験が活きていると思います。当時の気持ちは今も覚えています。普段の練習から、相当必死でした。そして今、気づくことは、そういうときこそ、あまり自分の考えを変えないほうがいいのかなって。自分がやっていること、やってきたことを継続してやり続ければ、必ず結果に結びついている。だから、試合に出られないから、なにかを大きく変えるとかじゃなく、今までやってきたことをずっと続ける。そのうえで必要なことはプラスしていくという方法でいいんだと考えています。必ず結果が出るという想いを信じて、結果を出してきた。もちろん、そういうときのつらい経験もいい経験だったなって思います」

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