難病を発症したFC岐阜前社長が語る、東京五輪へ向けた真のバリアフリー (3ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

 しかし、FC岐阜のスタジアムのエレベーターには、人工呼吸器を積んだ私の車椅子は入らないし、スロープの勾配は急で介助者は私の重い車椅子を押すのに四苦八苦していますし、障害者用トイレの入口はクランクになっており、すごく入りづらいです。FC岐阜のスタジアムに限らず、後付けでバリアフリー設備を付けた施設は、使いにくいものが多い気がします。皆様が足を運んでいるスタジアムのバリアフリー設備はいかがでしょうか?

 かく言う私も、2015年の「J1ライセンス」の基準を満たすために行なったスタジアム改修の際に、社長の身でありながら、実効性のあるバリアフリーの観点を全く持っていませんでした。結局、障害が我が身に降りかからない限り、バリアフリーの観点などなかなか持てないのです。

 そもそもバリアフリーとは、障害者に限らず、高齢者、妊婦、乳児連れの方などのハンディキャップを持つ人にも安心して使え、かつ健常者にも使いやすいといった考え方のはずです。

 誤解のないように申し上げますが、私は全ての設備を私のようなマイノリティに合わせて欲しいと主張しているのではありません。そんなことは不可能です。予算の都合もありますし、例えば点字ブロックは、盲目の方の助けになりますが、車椅子ユーザーにとってはガタガタ道となる、といったように各々の症状に対して利益相反してしまうのです。

 大切なのは、それぞれのハンディキャップによって、具体的に何があると助かるのかを知ることです。そこから全てが始まります。ハード(設備)でまかなえないものは、ソフト(おもてなし・配慮)でまかなう必要があります。

 極端な話、エレベーターがなくても、成人男性が4人いれば、車椅子を担いで階段を登って、上階に行けます。私自身、講演先や訪問先で何度もこのようなおもてなしを受けてきました。相手が私の状態を知った上で、人足を用意するという配慮をしてくれたのです。「おもてなし」は、世界に誇るべき日本の文化のはずです。

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