岩政大樹の言葉に支えられ、昌子源は「背番号3の魂を受け継いだ」 (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

――プレースタイルという意味で、どんな選手をイメージしていたのでしょうか?

「元バルセロナのハビエル・マスチェラーノですね。知人から7分くらいの映像をもらったんです。それを見て、ボールの奪い方やビルドアップやパス、攻撃に転じるときなども含めての判断の良さ、そういうものを見様見真似でやってみると、うまく自分にマッチングできた。それがプロ3年目のころです」

――秋田氏や岩政氏とは違うスタイルを磨いてきたわけですが、背番号3を背負い結果が出ないと、中傷の的になってしまう。

「そうですね。失点に絡んだとき、直接『その背番号をつける資格はない。ほかの選手に譲ってくれ』と言われることもありました」

――そういうなかで自分のスタイルを守り抜けたのはなぜでしょう?

「大樹さんに言われた『お前は俺や秋田さんと同じプレースタイルじゃないから、俺らの真似はしなくていい。だけど、ディフェンスリーダーという魂を受け継いでくれ』という言葉があったからだと思います。だから俺は、プレースタイルじゃなく、その魂を受け継いだ3番だと考えていました。ディフェンスリーダーとしてしっかりチームを締めるとか、守り切るとか。それが、僕が継承する『背番号3』なんだと。厳しい声があるなか、俺がミスしても『昌子の実力は私たちが知っているし、今までもこれからも鹿島を背負って闘ってくれると信じています』と励ましてくれるファンの方もいてくれた。そういう信頼の声は力になりました。俺は応援してくれるあなたたちのために、鹿島の3番のユニフォームを着てくれている人たちのために、と思えたんです」

――プロ選手は、サポーターの想いを背負ってプレーしなくてはいけないということを実感したのではないでしょうか?

「そうですね。厳しい声を非難と受け取れば、ただただ苦しいだけです。でも、その声も僕が結果を残せば、称賛に変えられる。だから、『今に見ていろ』というふうに考えれば、厳しい指摘も力に変えられる。当時は自信も経験もないから、周囲の声を気にしすぎて、惑わされてしまったけれど、徐々にそういう声が気にならなくなったんです」

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