岩政大樹の言葉に支えられ、昌子源は「背番号3の魂を受け継いだ」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

「真ん中でどっしりと構えるという雰囲気がある。鹿島のセンターバックは、Jリーグのほかのチームとは違うと思うんだよね、俺は」と内田篤人は以前語っている。

 2015年、岩政大樹から譲り受ける形で、背番号3を背負った昌子源。主力としてプレーを始めて2シーズン目だった。しかし、開幕からチームの成績は低迷。失点するから勝てない。その現実は、若い背番号3を苦しめた。

ACL決勝ではゲームキャプテンを務め、味方を鼓舞し続けたACL決勝ではゲームキャプテンを務め、味方を鼓舞し続けた

――背番号3をつけた経緯を教えてください。

「まず、大樹さんから、背番号3は『お前がつけろ』と言われました。その後、2015年シーズン前にクラブからも『3番はどうか』と言ってもらえて『つけさせてもらえるのなら、つけたい』と」

――そのとき、その背番号の重要性は認識していましたか?

「その番号を担った歴代の選手の名前を見て、重責であることはわかっていたけれど、本当の意味では理解していなかったのかもしれません」

――しかし、そのシーズンは苦しいものになりましたね。シーズン途中にトニーニョ・セレーゾ監督から石井正忠監督に交代しました。

「きつかったですね。背番号がプレッシャーになっただけでなく、試合に出始めの2年目でミスも増えた。1年目はただガムシャラにプレーすればよかったけれど、2年目はやることも増えるし、責任も増す。周囲の眼も厳しいものに変わります。『秋田(豊)さんや大樹さんのようにヘディングで点が獲れない』とか、過去の3番と比較されることも多かった。でも、僕と先輩とでは、プレースタイルがまったく違う。葛藤がありましたね」

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