鹿島の選手のJデビュー時。椎本邦一は「親みたいな気持ちになる」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

 鹿島アントラーズの前身である住友金属でプレーしていた椎本邦一氏は、30歳で現役を引退後、ユースチームでの指導を経て、1994年にスカウト担当となった。今もなお高校、大学の大会に足を運び続ける。そして時間が許せば、ピッチに置かれたベンチに座りトップチームの練習を見ている。自身がその扉を開いたプロという環境で、選手たちがどう戦っているのかを見守る椎本スカウト担当部長の姿こそが、「選手を育てるクラブ」という鹿島を象徴し、信頼を築いてきたことが伝わってくる。

24年間、スカウトとしてチームを支えてきた椎本邦一24年間、スカウトとしてチームを支えてきた椎本邦一

――選手をスカウトするうえで、鹿島アントラーズのブランド力というのはどのようなものなのでしょうか?

「たとえば強豪だとか、いろいろな情報はインターネットなどを通じて親御さんや学校も得てくれているようで、わざわざクラブについて説明することはほとんどないですね。そのうえで、『鹿島は選手を育てるクラブ』というふうに考えてもらえているなと感じます」

――選手を育てるのは、指導者や先輩選手の存在ということなのでしょうか?

「それらすべてを含めた環境ですね。鹿嶋は大都会ではないけれど、だからこそサッカーに集中できる場所なんだと思う。チームがひとつの大きなグループになっていて、選手同士が近い関係を作っていると感じますね。同時に、クラブが大事にしている『スピリット・オブ・ジーコ』という芯があるから。チームのために戦うこと。そのうえで結果も残している。そういう想いというか、姿勢を選手同士で共有し、若い選手にも伝えている。受け継がれる文化みたいなものが鹿島にはあります。当然それを僕自身も大切にしてきました。だから、高校や大学関係者からも『鹿島はブレない、真面目なチーム』というふうに言ってもらえる。監督が代わったり、多少調子の悪い時期があったりしても、『鹿島には戻る場所、ベースがある』とも。また、ありがたいことに、『この選手は鹿島に合わないと思うから、推薦できないな』と先生に言ってもらえることもあるんです」

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