プロ生活14年を全う。田代有三は「未練なくサッカーをやめられた」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 そこで、セレッソでの2年目を終えたあとに、もう一度、チャレンジしようと考え、いろんな可能性を探りました。結果、親身になってくださった方のサポートを受け、(オーストラリアの)ウロンゴン・ウルブスという、Aリーグのひとつ下のリーグ(NPL)に属するチームでプレーすることになりました」

 ウロンゴン・ウルブスでの2年間は、プレーヤーとしても、次の人生を探るうえでも充実した時間になった。

 チームでは中心選手として活躍しながら、世界で上位2%に入る大学として知られるウロンゴン大学のアンバサダーにも就任。クラブオーナーである鉄道会社の代表取締役社長、トーリ氏をはじめ、多くの人とコミュニケーションの輪を広げていく。

 トップリーグであるAリーグには10チームしか所属していないものの、NPLは各州に、それも1〜3部まであると知ったのも、現地に入ってから。さらに言えば、その下の地域リーグにも想像を遥かに超えるチーム数が属しており、あらためてオーストラリアのサッカー熱に驚かされた。

「NPLでプレーする日本人選手は自分だけだと思っていたら7、8人いて、さらに僕の住んでいる地域のイラワナリーグには、20人前後の日本人選手がプレーしている。しかも、雇用形態も決して悪くないというのも現地で知りました」

 そうした環境のもとで、家族とともに新しい世界を楽しみながら、スポーツビジネスの持つ可能性を知ったからだろう。そこに、自身のセカンドキャリアを想像できたことで、田代は、現役生活に別れを告げた。

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