田代有三が現役引退。「鹿島がなければ、プロ生活は5年で終わっていた」 (5ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 そして、3つ目は"3連覇"を遂げた翌年、2010年に山形に期限付き移籍をしながら、2011年には鹿島に戻り、キャリアハイとなるJ1リーグ12ゴールを挙げたことだ。「このままじゃダメになる」という危機感からの期限付き移籍だったが、その翌年、田代は「逃げた自分」を払拭するため鹿島に戻った。

「鹿島では、2008年の途中までレギュラーだったけど、正直、膝の痛みも消えなくて。サブになる時間が増えても、ある意味、納得していました。『このコンディションで、Jリーグで一番強いチームで活躍できるはずがない』と。

 でも、2009年の終盤にかけて、膝の痛みが軽減されたのと並行して調子が上がり、自分はまだ大丈夫だと思えるようになった。それでクラブにお願いして、山形に期限付き移籍をさせてもらい、プロになって初めてふた桁得点を挙げて自信を取り戻すことができた。

 その山形は、僕にとって初めての"東北"で、人の温もりを実感した時間になりましたが、翌年、鹿島に戻ったのは『逃げたまま』で鹿島でのキャリアを終わらせたくなかったから。つまり鹿島には、レベルの高い選手の中で揉まれながら(そこで)レギュラーを獲るために加入したのに、コンディション悪を言い訳に逃げた自分にケリをつけるためでした。

 といっても、最初はサブだったし、東日本大震災も起きてクラブとしても大変なシーズンになったけど、1年を通して『鹿島のために結果を残す』と思い続けながら、12ゴールを挙げられたことは自信になりました」

(つづく)

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