田代有三が現役引退。「鹿島がなければ、プロ生活は5年で終わっていた」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

「僕が鹿島に加入して痛烈に感じたのは、サッカーのうまさはもちろんのこと、選手個々の人間性でした。簡単に言えば、本当に誰もが尊敬できるいい人ばかりで。個性は強かったけど(笑)、いざピッチに立ってサッカーをやるとなれば、全員が鹿島のために自分のすべてを注いだし、オンとオフの切り替えもすごかった。

 だから、たとえば『みんなで飯を食べよう』と誰かが声をかけると、それが急な呼びかけでも、必ず全員が集まる。それぞれ予定があるはずなのに、顔を出さない選手はまずいない。で、みんなでハメを外して楽しみ、でも、練習になると誰も手を抜かないし、全員がいいライバルとしてやりあう。そういう遺伝子が自然に伝統として備わっているというか......。

 その音頭をとってくれるのは、だいたいが満男さん、モトさん、イバさん(新井場徹)、ソガさん(曽ヶ端準)、(中田)浩二さんら"79年組"の人たちでしたが、そのさらに上の先輩選手も、その空気をすごく楽しむし、僕ら後輩は自然と『もっとやらなきゃ』という気持ちにさせられる。

 そういう中で、サッカー選手としても、人間的にも成長できたことが、のちのキャリアにもつながった。もし、違うチームでキャリアをスタートしていたら、僕のプロサッカー人生はきっと5年で終わっていたと思います」

 鹿島で過ごした7年間では、忘れられない記憶が3つある。ひとつはプロ1年目の夏に負った、左膝前十字靭帯断裂の大ケガだ。

 1年目からたくさんのすばらしい"パス"に出会い、点を取る楽しさを実感し始めた矢先のアクシデントで悔しさは募ったが、一方で田代はその時、見慣れない番号からの電話をうれしく受けとめたそうだ。相手は、当時フランスのオリンピック・マルセイユでプレーしていた中田浩二だった。

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