山本脩斗の鹿島加入時の逸話。「強化部も僕をよく知らなかったと思う」 (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

――2013年に行われた「東日本大震災復興支援 2013 Jリーグスペシャルマッチ」へ出場したときに、トニーニョ・セレーゾ元監督から見初められたというのは本当ですか?

「本人から訊いたことはないですが、きっとそうだと思います。ジュビロでほとんど試合に出ていなかったですから。鹿島の強化部も僕のことはよく知らなかったと思うので」

――ベガルタ仙台と鹿島、そして東北出身の選手で構成された「Jリーグ TEAM AS ONE」の監督がトニーニョ・セレーゾ元監督でした。すごい縁ですよね。

「そうです、縁ですね。チャリティマッチというのは、だいたい45分くらいで選手が交代するじゃないですか? でも、サイドバックで出場予定だった選手が足を痛めていたんです。そこで、トニーニョから『75分くらい出場できるか?』と言われて、『もちろん大丈夫です!』って。僕にとっては、こんなに大きなチャンスはないですからね。『よっしゃ』って感じでしたね」

――アピールの場として考えていたのですか?

「そこまで意気込んでいたわけではないけれど、何が起きるかわからないぞというふうには思っていました。だからとにかく、最後まで走りきってやるんだとは思っていました」

――そして、鹿島からのオファーが届いたと。鹿島アントラーズ合流直後の緊張感はすごかったのではないでしょうか?

「もう4年も前のことですからね。でも、緊張感は覚えています。アントラーズへ来て、『ここから始まるな』と開幕したときに意気込んでいましたね」

――28歳でのプロとしての再出発ですからね。

「シーズン前のキャンプで怪我をしてしまい、復帰したのが開幕1週間前くらいだったんです。それでも開幕戦で起用してもらい、監督からの信頼も感じましたし、『やらなくちゃいけない』という気持ちでした。僕の力だけではないけれど、開幕3連勝したことで、気持ち的に乗れた手ごたえがありました」

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