最高の戦術家・リージョは「バルサ化」推進の神戸に何をもたらすか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki photo by AFLO

 そして27歳で率いた3部のサラマンカを、それぞれ1年で2部、1部と昇格させ、一気に全国的な注目を浴びることになった。それが冒頭に記した1部でのデビューシーズンである。わずか1シーズンで降格し、解任されることになったものの、その戦い方は専門家の間で評価が高かった。

「スペイン最高の戦術家」

 その称号は定着していった。

 1996-97シーズン、リージョが1部オビエドを率いていた頃のことだ。バルセロナの選手として対戦したジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督)は、オビエドの戦い方に感服。試合後、リージョに会い、教えを乞うた。2人の"師弟関係"はこのときから始まった。

「自分が影響を受けた監督はヨハン・クライフとファンマ(リージョ)」

 そう語るグアルディオラは、引退前の1シーズン、「どうしても指導を受けたい」とメキシコでリージョが監督をするチームでプレー。その後、引退して監督業をスタートさせている。

 グアルディオラはかつて、リージョをバルサの監督にするための画策もした。2003年6月のバルサの会長選挙、ルイス・バサット会長候補を支持。その公約が「リージョ監督、グアルディオラ強化部長」だった(選挙で敗れ、果たされることはなかった)。

 すなわち、最強バルサを作り上げた名将グアルディオラが、「最もバルサに適した監督」と判断したのがリージョなのである。

 では、リージョは常勝監督と言えるのか。

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