41歳。冨田大介はずっと目指してきた日本代表を、なぜあきらめたのか (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「実は僕、(ヴァンフォーレ)甲府時代に戦った天皇杯で、今回と同じようにPK戦になって、キッカーに選ばれたのに外して負けてしまったことがあるんです。以来、『もうPKは蹴らない』と思っていたのに、なぜか今回は監督に1番で指名されて、決めることができた。その部分だけを切り取ると、自分がやり残してきたことを消化できたような感覚はあったけど、それ以外の......ゴールを決めたとか、120分間戦えたことについては、あまり特別な感情はないです。

 実際、その試合が以降のJ2リーグの戦いにつながっているのか、と考えても、メンバーに入れていない、イコール、監督の評価基準に達していない、ということですから。J1の川崎を相手に攻守に自分たちの戦いができて、個人的にもその中心で活躍して結果を出せたのなら、それに対して僕自身も、『なんで使ってくれないんだよ』と思ったかもしれないけど、そうではないな、と。

 だからこそ今は、もっと自分を研ぎ澄ませたいし、もっとやれる自分を示したい、ということだけを考えています」

 今年で19年目を迎えるプロサッカー選手としてのキャリアは、その「もっと、やれる自分を示したい」という欲に背中を押されてきた。いや、正確には、その欲が彼の中心に居座るようになったのは、ここ数年のこと。それまでは、プロを明確に目指し始めた高校時代からずっと"日本代表"が目標だった。

「中学生のときに、サッカー選手になりたいと思ったのは、単にサッカーをしていたから、というくらいの単純な理由でした。でも、それを中学校の恩師に話したら、先生は当時の僕のサッカーの能力を冷静に見ていたんでしょうね。筑波大学に行くことを薦めてくれたんです。

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