安部裕葵は中学でプロになると決意。その挑戦期限は18歳までだった (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

――プロになりたいと決意した理由は?

「家族のためというのが大きいですね。僕がサッカーを続けるのを応援してくれていた両親が一生懸命働いている姿も見ていました。サッカーをするにはお金もかかるから。将来、もし僕がプロになれなかったとき、両親がガッカリするんじゃないのか? という責任感みたいなものがありました。同時にプロを目指してサッカーを頑張ってきた兄が、高校卒業後その道を諦めた姿を見たこともあります。プロは兄の夢でもあったので、自分がやってやるんだと決意したんです。でも、高校進学を決断したときは、『プロになれなかったら』とは、考えなかったですね。そういう気持ちがあるとサッカー選手になるうえで、ベストな選択が難しくなる。決断をするときは、一番大事なものを100で考えます。サッカー70、勉強30ではなくて、100とゼロというふうに考えて決断しました」

――プロというのは、J1?

「そうですね。ほかのカテゴリーは考えていなかったです」

――プロになるうえで、大学を卒業というイメージはありましたか?

「なかったですね。高卒でプロになれなかったら、プロを目指すのはやめようと思っていました。『チャレンジするのは18歳まで』という話は両親にもしていました。兄がそうだったし、自分だけ弟だからといって、特別扱いしてほしくはなかったから。両親から『18歳でその後の人生が決まる。その間になにをするかで人生が変わってくる』と、子どものころからずっと言われてきたんです。だから、この3年間で人生が決まると思って、高校生活を送ってきました」

――どんな3年間でしたか?

「今もそうですけど、計画を立てずに、1日1日今日やるべきことをしっかりと、という感じでやっていました。必要なものが明確にわかっているときは、計画を立てて、逆算もいいと思うんです。でも、プロになる方法やサッカーが上手くなるために、何が必要かなんてわからない。そういう状況で逆算するのはナンセンスだと思うんです」

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