清水への移籍を迷った森岡隆三。鹿島と対等での戦いに違和感があった (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

Criacao Shinjuku(東京1部)のアドバイザーに就任が決まった森岡隆三Criacao Shinjuku(東京1部)のアドバイザーに就任が決まった森岡隆三

 1994年に高卒ルーキーとして、鹿島アントラーズ入りを果たした森岡隆三さんは、翌年夏に清水エスパルスへ半年間のレンタル移籍を果たしている(のちに完全移籍)。移籍直後から、エスパルスのレギュラーとして活躍。ファーストステージ12位だったチームはセカンドステージ4位と順位を上げる。移籍を決意するに当たり、森岡さんは「出場機会を求めて」「試合経験を積むために」というだけではない、覚悟を抱いていた。

 その後、長年ライバルという関係になった鹿島だが、森岡さんのキャリアにとって、鹿島での日々はどんな影響をもたらしているのだろうか。

――プロ1年目は1試合に出場しただけで、苦しい時間が続いたわけですが、2年目の1995年夏、清水エスパルスへのレンタル移籍を決断しました。

「2年目を迎えるにあたって、楽しもうと思ったんです。身体を鍛えること以上にボールを使い、自分の良さを出していきたいと。両親とは『3年間』という約束をしていたし、もう残り2年しかないわけですから。そういう気持ちになれたせいか、だんだん自分のプレーにも自信が持てるようになり、成長を感じることができたんです。まだ試合には出られていないけれど、可能性はあるんだと。そんなときに清水から『トップのレギュラーとして起用したいから』という話を頂きました。最初は鹿島で勝負したいという気持ちが強かったんです。でも、まだ19歳の僕に清水は大きな期待をかけてくれている。その年のファーストステージで、清水は失点がすごく多かったんですよ。そのディフェンスの補強に僕を選んでくれたんだと思ったときに、挑戦してみたいという気持ちに180度変わったんです。エスパルスは新しいクラブだけれど、サッカー処の清水にあり、それこそ高校サッカーのヒーローがたくさん在籍していたし、いい選手も多い。そのなかでチームのために力になれるという自信も自分には芽生えていたので、移籍を決意しました」

――最初はレンタル移籍でした。半年後に鹿島へ戻るということはイメージしていましたか?

「『経験を積んで、戻ってきて』と言ってくださる方もいたんですが、僕自身はそういう気持ちは正直なかったんです。というのも、僕がエスパルスへ加入するというのは、エスパルスの選手の仕事を奪いに行くことだと考えていたからです。『レギュラーとしての補強』と言われていたけれど、もちろんポジションが約束されていたわけではない。文字通りポジションを奪う、誰かの仕事を奪う覚悟がないとダメだと思っていました。それこそ、半年間、誰とも仲良くなれなくてもいいというくらいの気持ちです。だから、『半年経験を積む』という感覚にはなれなかった」

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