塩釜FC時代の遠藤康は「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」 (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――下積みとも呼べるそういう時間は、やはり我慢の時間なのでしょうか?

「我慢ではなかったかな。今思うと、すごく楽しかったから。紅白戦でダニーロと激しくぶつかり合ったり。BチームはどうにかしてAチームに勝ちたいと思っているから、それが一番のモチベーションだった。試合に出るにはAチームよりもいい試合をしなくちゃいけない。そして、Bチームの中心的な存在にならないと、たとえ試合に出ても、Aチームでは絶対にボールが回ってこないから」

――ベンチに入り、徐々に出場を重ねるという過程を経て、レギュラーとなるわけですが、うまくいかないことも多いし、そうなるとベンチからも外される。ある意味非常に不安定な状態だと思うのですが......。

「うまくいかないときはたいてい、自分に腹を立てていましたね。なんとかしなくちゃいけないという気持ちが強かった。だから、たくさんの先輩に相談しましたよ。聞いて回っていましたね」

――聞いて回る(笑)。

「はい。周りにいい先輩がたくさんいましたから。それは非常に恵まれた環境でしたね。中田浩二さんや(岩政)大樹さん......。名前を挙げたらきりがない。それくらいいろんな人の意見を聞いていましたね。当時、浩二さんがBチームでボランチをしていたので、いろいろ教えてもらった。たとえば、監督の求めていることだけをやっていても勝てないこともある。とにかく、いろんな対処法を知っている先輩に話を聞きましたね。

 どうすればいいのかと僕はずっと考え続けていた。そういうときにチームメイト、先輩のアドバイスは重要です。いくら自分に厳しくといっても、自分だけでは限界があるから。そういう仲間の声を素直に受け入れることもまたとても大事だと感じます」

――今は質問を受ける逆の立場ですね。

「でも、僕はあまり言わないほうだと思います。もちろん、訊ねられたら話しますけど」

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