塩釜FC時代の遠藤康は「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――しかし、練習が楽しいチームというのは、それだけレベルが高くて、ライバルも強敵ということでもあるのでは?

「それはもちろん想像していました。当時、(小笠原)満男さんは、メッシーナ(イタリア)でいなかったけれど、モトさん(本山雅志)、(野沢)拓也さんをはじめうまい選手がたくさんいたから。いっしょにやって、あらためて『こんなレベルの高いチームで僕がやっていけるのかなぁ』という気持ちは正直ありました。

 でも、そこに至るまでの学生時代の僕は、どのチームでも中心としてプレーさせてもらってきた。いわゆる『できる環境やれる環境』だったので。せっかくプロになるんだし、今まで経験したことのなかった厳しい場所に身を置いたほうが成長できると思ったんです」

――鹿島以外で、試合に出られる可能性の高いクラブもあったと思いますが......。

「このチームで試合に出て、活躍したいし、しないとダメだと思いました。鹿島で試合に出るほうが、価値があるだろうと」

――しかしというべきか、やはり鹿島では時間がかかりましたね。

「はい。かかりました。今となっては、その時間が非常に重要だったと思えます。試合に出られない選手の気持ちは、同じことを経験している試合に出ていない人にしか、わからないところもあると思います」

――そういうサブ組の時期がなにを教えてくれました?

「試合に出られないという悔しさは、どんなクラブに所属していても年齢に関係なく、持っているべきです。悔しさがあっても腐らずにやることがチームのためになる。そして、選手自身のためにも。そういう『サブ組』の姿勢がチームに影響するし、サブ組の前向きにひたむきに頑張っている姿がやっぱりチームにとって大事かな。試合で活躍するのももちろん重要ですけど、それ以上に試合に出ていない人たちの目に見えない頑張りが、チームにとって一番の土台になる」

――トップチームが輝くのも、レギュラー選手が大輪の花を開かせられるのも、サブ組が作るチームの土台があるからだと。

「僕はそうだと思いますね」

――遠藤選手ご自身がサブ組だったときは、どんなことを考えていましたか?

「大丈夫かなぁという不安ばかりでしたよ。試合に出ていないとクラブと契約が結べなくなる可能性もある。自分の将来が本当に見えないから。だけど、そこで腐っていても意味はないから」

――自分の未来は自分で切り開くしかない。

「レギュラー組のグループに割って入っていくには、試合に出ている選手以上の気持ちで、常に練習をしなければ、評価もされない。爪痕を残して、監督の目に留まらないと話は始まらないわけだから」

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