塩釜FC時代の遠藤康は
「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

 綺羅星(きらぼし)のごとく、将来有望と言われる10代のスター選手が数多く、プロデビューを果たしてきた鹿島アントラーズ。強豪クラブであるがゆえ、そんな選手でも出場機会を得るためには時間を要する。ベンチ入りや途中出場を何度も繰り返し、力を認められたものだけが、先発の座を手にできる。もちろん、ベンチ入りとて容易ではない。自身の力不足を痛感し、トレーニングを重ね、競争を勝ち抜く術を模索する。じれったさと悔しさ、無念。そういうネガティブな感情と戦いながらも、なんとか、闘争心を維持しなければならない。

 そんな作業を繰り返すうちに、気づくことがある。

 たとえ試合には出ていなくとも、自分の存在が「チームの勝利のため」に有益であり、その犠牲心が、チームだけでなく、自分をも成長させてくれるということに。

 昔から、高卒でJリーグ入りを果たした若手の賞味期限は3年と言われている。そのクラブで3年間は育てます。しかしそこでポジションを摑めなければ、移籍やむなし......と。近年ではそういう猶予すらないクラブも多いのが現実だ。

 そんな厳しい競争を強いられるのがプロ選手だが、2007年塩釜FCユースから鹿島入りした遠藤康が、チームの主力と呼ばれるようになったのは2010年ごろだった。4年目にしてやっと花開く準備が整った。

  

――遠藤選手は塩釜FCユース時代から、トップチーム(東北社会人サッカーリーグ1部)でもプレーした経験を持ち、U-18代表候補でもあったわけですが、鹿島からオファーが届いたときの心境を覚えていますか?

「スカウト担当だった熊谷浩二(現・鹿島ユース監督)さんとは話をする機会はあったのかな? でも、正直、鹿島から正式なオファーが来るなんて思ってもいなかった。他のチームのことも検討していたし、大学進学も含めて、進路に迷っている状態でした。そんなときに、鹿島から話をもらい、練習にも参加させてもらって、『これは鹿島へ行くしかないな』と思いましたね」

――他の進路が色あせて見えた?

「そうですね、鹿島の練習は楽しかったですから」

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