2018.06.30

リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で
号泣。「あのとき覚悟が決まった」

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko  井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

 そして、大迫勇也、柴崎岳。そして昌子源がいま、ワールドカップを戦っている。日本代表の中心を担う選手たちは、岩政大樹の側で、その可能性を磨いた選手たちだった。試合に出られない時間をいかに乗り切るかという上で、岩政大樹先輩の存在は大きかったに違いない。

 *     *     *

ロシアW杯期間中は解説の仕事で大忙しの岩政大樹

 2000年に三冠獲得、2001年にはリーグ連覇を成し遂げ、2002年にはナビスコカップ(現ルヴァンカップ)も獲ったものの、その後、選手の海外移籍などもあり、タイトルから遠ざかることになった鹿島アントラーズは2005年に6シーズン監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。

 2006年にはパウロ・アウトゥオリ監督が就任したものの、無冠に終わり、2007年オズワルド・オリベイラを監督に招聘する。しかし、開幕5試合勝利なしとスタートダッシュに失敗したこともあり、そのシーズンはチームの土台作りと考えざるを得なかった。リーグは浦和レッズとガンバ大阪が首位を争う展開。岩政がレギュラーを張る鹿島が目指したのは、ナビスコカップでのタイトル獲得だった。

――2007年シーズン、残り5節の段階で首位とは10ポイント開いていました。

「開幕5試合勝てなかったけれど、9節から9試合負けなしで、徐々にチームが出来上がっていくという手ごたえを感じられる、まずまずというシーズンでした。でも、正直まだ、好調なレッズやガンバを上回る力が備わっているとは思えなかった。だから、ナビスコカップを獲ることが僕らのメインターゲットだったんです。タイトルをひとつ獲り、自信を得て、次のシーズンのリーグを狙うというようなステップを描いていました」

――ナビスコカップの準決勝で、ガンバ大阪と対戦します。

「ファーストレグをアウェーで0-1と落としていたので、ホームでのセカンドレグは大事な一戦になりました。その試合は3-2と勝利しましたが、アウェーゴールの差で僕らの敗退が決まりました。ガンバに許した2点目は、コーナーキックからのシジクレイの得点だったんですが、僕がシジクレイのマークをしていたんです。

 僕はそのとき4年目で、前年から背番号3をつけていました。そんな選手が鹿島にタイトルをもたらせられないというのは、"致命傷"なんです。クビになっても仕方がない。にもかかわらず、マークした選手にゴールを決められて、トーナメントを敗退する......最悪の状態です。

 自宅へ帰り、嫁の前で泣きました。そのとき、腹の奥の部分で覚悟が決まった。タイトルを獲ると覚悟を決めてサッカー選手をやっているわけですけど、いつも抱いているモノとは違う覚悟ができました。今よりも1段も2段も上というか、本当に強く、何年かかろうともタイトルを獲れるまでやり切るぞと。その日まで、すべてを懸けるんだと思ったんです」