秋田豊が目指すビジョンは「指導者としてアントラーズに戻りたい」 (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko  井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――そういう町にフットボールというカルチャーを植えつけたのが鹿島アントラーズだったんですね。しかも強い。喜んでくれる人たちの存在が力になったのではないですか?

「もちろん。町の人たちはとても温かくて、本当の家族みたいに、僕の子どもたちとも接してくれる。すごくいい町だったよね。一生、鹿島にいたいと本気で考えていました。子どもたちもここで育ち、コミュニティもできているし。ここで引退して、指導者として......と考えていました」

――しかし、2004年に名古屋グランパスへ移籍することに。

「鹿島は過去、選手を切ったことがないんですよ。もし契約を延長しないとなっても、ちゃんと移籍先を探してくれるクラブ。それをしなかったのは、僕が初めてのケースだったんです。コーチとしてのオファーをもらったんです。今考えれば、すごくいい条件でした。だけど、2003年もずっと試合に出ていたのに、突然でしたからね。代表への気持ちもまだ持っていたし、やっぱり現役を続けたかったから」

――他クラブでプレーしたことで、初めて知る鹿島アントラーズの強みもあったんじゃないですか?

「一番感じたのは、フロントも、選手も、サポーターも、すべての人たちが、当たり前のことを、当たり前のようにやっているクラブが鹿島なんだなと。たとえば、選手は目の前のトレーニングに全力を尽くす。そこから勝つための準備が始まっていることを知っているんです。フロントはそういう選手をサポートしてくれる。サポーターも日本一のクラブのサポーターになるために、どうすべきかをいつも考えてくれた」

―― 一枚岩なんですね。

「だからと言って、甘えもないんです。(鈴木)満さんという強化部長がいて、監督や選手を評価するように、誰もが厳しく仲間を評価し合える空気がちゃんとあるんです。その評価基準も明確でブレたり、揺れたりしない。みんな見ている方向が同じなんです」

――鹿島への愛情は変わらない。

「変わらないです。鹿島イズムというのは、僕の身体の中に入っているから。DNAに刻み込まれていますから。いつか、鹿島で指揮を執るのは大きな目標でもあるし、夢でもあります。もちろん、選手と監督とは違うということはわかっている。だからこそ、そこを目指したいと考えるんです」
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※6月2日(土)は連載をお休みします。次回は6月9日(土)の予定です。

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