秋田豊が目指すビジョンは「指導者としてアントラーズに戻りたい」 (2ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko  井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

アントラーズの多数のタイトル獲得に貢献した秋田豊アントラーズの多数のタイトル獲得に貢献した秋田豊――愛知学院大学の秋田さんと鹿島アントラーズを結んだものはなんだったのですか?

「1年のときから、毎年住金(住友金属、鹿島アントラーズの母体)の練習に参加させてもらっていたんですよ。卒業したらJリーグでプレーしたいと思っていたので、最初は地元のトヨタ自動車(名古屋グランパスの母体)が目標でした。住金はジーコもいたけれど、当時は2部だったし、Jリーグに入れるかは未知数だったから」

――しかし、鹿島アントラーズが見事Jリーグの一員に。

「サプライズでした。アントラーズがJリーグに加盟するなら、ぜひお願いします! という感じでした」

――アントラーズにはジーコはもちろんのこと、本田技研組など、プロ意識の高い選手が多かったと思うのですが、1993年に大卒ルーキーとして加入したとき、プロの壁を感じることありませんでしたか?

「特になかったですね。というのも、愛知学院というところは、自分でやらないとダメなチーム環境でしたから。選手が自立していて、自主的にトレーニングをすることが当たり前でした。自分で自分を追い込むことも、僕にとっては特別なことではなかったんです。だから、アントラーズのピリッとした緊張感のなかでの練習は、『すごく疲れるけど、プロなら当然だよな』と受け止めていたんです」

――居心地がよかったと。

「そう。居心地がよくて、肌に合うというのが第一印象でしたね。シーズン前の身体作りの合宿から参加したんですけど、非常にリアリティを感じたし、シーズンを戦ううえで、こういうトレーニングが必要なんだなと、納得感があった。これがプロなんだなって。

 ただ、技術的なもの、体力やスピードという部分では、壁というかまだ足りないと感じるところはありましたね。だから、基礎練習の多いメニューは助かりました(笑)。

それでもヘディングだったり、メンタルだったり、自分にしかない武器、ストロングポイントはわかっていたので。そういうものが支えとなり、足りない部分を練習で埋めていくという感じでしたね」

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