レオシルバは知っていた。「鹿島?ジーコがプレーしたクラブだろ」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko  井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

「今思えばという感じですが、実は僕が初めてブラジル代表に選ばれたのが、U-20代表でした。2004年の夏に、日本で行なわれる大会に出場することになったんです。本当に嬉しくて、やる気満々で日本へ来ました。にもかかわらず。大会が始まる直前にヒザを痛めてしまったんです。だから大会中はずっとベンチで試合を見ていました。観光に来たようなものです。本当に落胆しました。

 日本代表とも対戦したと思うけれど、当時はまだ若く、初めて代表でケガをしてしまって。異国の地にいて、相手チームのことを見る余裕もなかったです。覚えているのは、とても暑くて、帰りたくてしょうがなかったこと。人生のなかで一番の暑さを日本で経験しました。だけど、そんな日本でこうやって暮らすようになるとは、不思議な縁を感じています」

――Jリーグでプレーしていた知人などからの日本の情報はどんなものでしたか?

「柏にいたマルシオ・アラウージョなど、日本に行った選手たちは、非常にたくさん日本の話をしてくれました。しかも、ただ『いいところだよ』というのではなく、『非常にいいところだ』って言ってくれた。だから、実際のオファーを受ける前から、日本の国、リーグ、クラブのオーガニゼーションや治安の良さなど、日本に対しては好意的な印象を持っていたんです。

 ユース代表で行ったときも、とにかく接する人たち、ホテルや町の人たちが、僕らをとても歓迎してくれたことは印象強く残っていました。言葉はたしかにわからないけれど、教育や道徳がしっかりしている国民なんだという強い印象がありました」

    ――来日して、アルビレックス新潟でプレーをすることになるわけですが、不安はありませんでしたか?

「まったく、迷いも不安もありませんでした。もちろん、言葉の問題があることは周囲からも言われていたことで、覚悟もありました。でも、初日から安心してプレーできたし、時間の経過とともに、だんだん居心地の良さを実感するようになりました。後悔は一切していません」

――今では、レオシルバさんが、ブラジルの選手たちに「日本はどうだ?」と訊かれるのでは。

「そうですよ。『日本は非常によい』という情報を与える立場になっています」

――新潟でプレーしていたとき、いつか鹿島でという気持ちはありましたか?

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