フリューゲルス消滅、アツは「天皇杯で優勝すれば...」と奇跡を信じた (6ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「僕がフリューゲルスに入団した年、なかなか試合に出られなかったベテランの選手が何人かいたんですよ。でも、その人たちは練習でも手を抜くことが一切なくて、誰よりも一生懸命やっていた。試合のときも、ベンチやスタンドから本気で応援してくれたし、試合に出ている選手のサポートも率先してやっていた。その姿にすごく胸を打たれたというか、陰で支えてくれる選手の重要性を知りました。それが、その後の自分(の振る舞い)に、かなりの影響を与えたと思う」

 それから数年後、三浦は日本代表のジーコ監督時代に、そうしたベテランの立場になってチームを支えた。あまり出番はなかったものの、常に先頭に立って練習に取り組み、ベンチにいながらも献身的な姿勢でチームのサポート役を果たした。

 2004年のアジアカップ優勝は、そんな彼の存在があってこそ、と言われている。また、ドイツW杯最終予選では、チームのまとまりが欠けるなか、アウェーのバーレーン戦の前にキャプテン宮本恒靖の呼びかけでミーティングを開いた。そのとき、三浦の発言をきっかけにしてチームが一枚岩になった。「アブダビの夜」として知られる、日本代表のターニングポイントである。

 さて、フリューゲルスは天皇杯、最後の大会を戦う前にチーム内は揺れていた。

 それは、どういうメンバーで戦うべきなのか。選手たちに、決断が託されていたからだった。

(つづく)

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