37歳・高木和道。JFLの苦労も、難病と闘う妻の大変さを思えば... (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 何より僕自身も、昨年フルでシーズンを戦えたことから、フィジカル、プレーには自信があるだけに、それなら現役をがんばってみよう、と。

 結果的に正式に話をもらったのは地元、滋賀のMIOびわこ滋賀だけで、ステージはかなり下げることになったけど、ここなら僕の実家も近いし、子供たちとの生活を考えてもより安心ですから。それらを総合して考えてお世話になることを決めました」

高木和道(中央、背番号40)。MIOびわこ滋賀のチームメイトと高木和道(中央、背番号40)。MIOびわこ滋賀のチームメイトと MIOびわこ滋賀は、2007年に全国地域リーグ決勝大会で3位となり、JFL昇格を決めた滋賀県草津市、東近江市をホームタウンとするチームだ。監督は元ガンバ大阪の選手でもあった中口雅史氏。目標は"J3リーグ昇格"を掲げているものの、JFL昇格以降、タイトル争いに顔を出した実績はなく、チームを取り巻く環境は、正直厳しい。それは、高木の想像をはるかに超えて、だ。

「もちろんJクラブではないし、僕以外の選手は基本的に仕事をしながらサッカーをしている状況なので、環境は厳しいだろうなと覚悟していましたが、正直、思っていた以上でした。選手は自分で時間に融通が利く仕事を見つけてきてサッカーをしているので、朝9時半から練習して、終わって午後から23時くらいまで働いて、週末は試合をして......という毎日で、休みもない。つまり、そうしなければ生活すらできない、という状況でサッカーをしているということです。

 正直、この環境で『どうやってJ3を目指すのか......』というのがこの1カ月で感じた僕の率直な感想ですが、でもクラブが"J3昇格"を目標に掲げている以上、僕なりに必要と思うこと、変えたほうがいいと思うことはどんどん口にしていきたい。それが、Jクラブ経験者としてここにいる責任でもあり、クラブも僕に対してそういう価値を含めて契約をしてくれたと思いますしね。

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