37歳・高木和道。JFLの苦労も、難病と闘う妻の大変さを思えば... (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「再発による抗がん剤治療は、前回とは比べものにならないくらい長く、つらいものになる。その状況の中で、例えば子供たちを日本にいる僕らの親に預けて、僕ひとりがタイでがんばることや、これまでどおり2人の子供たちもタイで生活させながら学校に通わせることも考えました。

 ただ、タイでは基本、練習が夜に行なわれる分、夜に子供たちだけで留守番をさせなければいけないことや、昨年末、嫁が治療で帰国している際に、子供2人と3人で暮らしてみて、彼女のいない生活をタイで送るのは正直、無理だと思ったので。そして何より、本人のことを考えても、ひとり日本に残していくことはできないな、と。

 それに......、つらい治療の合間に一時外泊した際に、彼女が安心して過ごせる"家"をちゃんと作って待っていてあげたかったのもあります。だからエアフォースに事情を話して契約解除を申し入れ、帰国を決めました」

 そこからは、日本で現役続行の道を探りつつも、何度も"引退"を考えた。現に働き口がないか、Jクラブをはじめとする各所に働きかけたのもそのせいだ。だが、一方で「はたして、このまま引退してしまってもいいのか」という疑問も頭から離れない。それは自身のためというよりは、妻を想ってのことだった。

「このタイミングで引退したら、嫁は自分のせいで僕を引退に追いやったと責任を感じるんじゃないか、と。僕の力が足りなくて契約の話がなかったとしても、です。それは僕自身が嫌だな、と。

 それに現役を続けていれば、嫁の病気が治ったときにまた、家族でタイに戻ってプレーできる可能性だってある。彼女はタイでの生活を僕以上に楽しみにしていたのに、結局半年くらいしかタイで生活していないですしね。

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