土居聖真「ボールを持つのが怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」 (2ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

今季はチームの主軸としてはもちろん、A代表選出も期待される土居聖真今季はチームの主軸としてはもちろん、A代表選出も期待される土居聖真 リーグ3連覇(2007~09)というトップチームの偉業をユースの一員として見ていた土居聖真。次々とプロのステージで活躍する同世代(プラチナ世代)の存在に焦りを感じながら、2011 年、近くて遠かったチームに昇格する。同期は柴崎岳(ヘタフェ)、昌子源、梅鉢貴秀(金沢)の3選手だった。

――7年前、念願のトップ昇格が叶いました。

「でも、シーズン前の宮崎キャンプでケガをしたんです。(キャンプは)キツい部分もあったし、守備はできないけど、ボールを持ったら、結構やれるなという感覚があって、すごく楽しかった。だから、張り切りすぎて、すぐに肉離れを起こしてしまった。プチって音は聞こえたし、腿裏に血が広がるような感じがあるのに、『大丈夫です。ちょっと筋肉痛です』とか言って、プレーを続行しようとしたけど、まともに歩けない。スタッフに止められました。

 みんなが練習している間、治療しなくちゃいけない。『俺はなにやってんだ』と落ち込んだし、やっぱり焦りました。それで2週間くらいして、練習に復帰して、また悪化するという......。でも、本当に夢でしたから、トップで練習するのは。だから、嘘をついてでもやりたかったんですよね」

――トップの練習はどうでしたか?

「当時は、試合に出ているグループとサブ組との差が開いていた時期でした。でも、試合に出ていない、絡んでいない先輩たちの必死さが本当にすごくて。ポゼッションゲームをやっていても、ずっとスタメン組にボールを持たれるんです。サブ組はなかなか奪えない。それでやっと奪ったボールをミスすると、めちゃくちゃ怒られましたね。とにかくミスを許してくれない。それが鹿島だなって思いました。

 選手も指導者もミスに厳しい。あらゆるミスを指摘されるので。怖かったですよ、ボールを触るのが。だからといって、ボールを獲りにいかなかったら、また怒られる。ボールが来ても、すぐに寄せられて奪われてしまう。でも、苦しかったけれど、楽しさもあったんです」

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