証言でたどる「ベンゲルがいた名古屋グランパス」がもたらしたもの (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 19日に行なわれるニコスシリーズ(第2ステージ)の最終戦を視察するというその人物は、アーセン・ベンゲルといった。フランスリーグのASナンシーで3シーズン、ASモナコで7シーズン指揮を執り、モナコを強豪へと引き上げたフランス人監督である。

 大敗に終わったヒディンクの視察試合とは打って変わって、グランパスの選手たちはベンゲルが訪れたサンフレッチェ広島戦で意地を見せた。チームメイトの元イングランド代表である、ガリー・リネカーの現役ラストマッチでもあったこの試合に、1-0で勝利するのだ。

 この勝利がいかに好印象を与えたかは、試合後のベンゲルのコメントを聞けばよくわかる。

「11番(平野孝)と8番(岡山哲也)は将来、楽しみな選手だね。最後まで集中力が持続できたことが勝利につながったようだ。(リーグ最下位で)モチベーションが上がらない状況なのに、これだけやれるのは驚きだ」

 それから約3週間が経った12月9日、グランパスの次期監督が無事に決定した。ドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンからオファーが届いていたにもかかわらず、ベンゲルはグランパスを選んだのである。契約期間は2年だった。

〈モナコ時代の後半になると、特にフランスでは、自分のやるべきことはすべてやってしまったように感じるようになってきた。私は24時間中24時間、サッカーのために生きてきた。そのことに何の後悔もないにしろ、自分の持っているものをこの10年間で、すべて投入しきってしまったように感じていた〉

 ベンゲルは自著『勝者のエスプリ』の中で、当時の心境についてこう記している。フランスリーグで10年間指揮を執り、疲弊していたベンゲルは、自身を見つめ直すために区切りをつける必要性を感じていたのだ。

 フランスを離れ、異なる文化の中に身を置くのはどうか。

 これまで自分が学んできたものを、発展途上のチームに注いでみるのはどうか。

 プロリーグができて2年しか経っていない極東のクラブからのオファーを受けたのは、新しいチャレンジへと気持ちが傾いていた時期だったのである。

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