2018.01.31

証言でたどる「ベンゲルがいた
名古屋グランパス」がもたらしたもの

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 ヒディンクは当初、10月25日に来日し、2、3試合を視察する予定だったが、来日が28日に遅れ、29日のベルマーレ平塚戦だけを視察した。この”御前試合”で、グランパスは0-4の大敗を喫してしまう。これにはヒディンクも、報道陣に「応援の雰囲気はよかったが0-4で負けたし、印象に残った選手などについては、今は何も言えない」と述べるだけだった。

 未知なる極東の国にやってきた次期監督候補が、クラブの状況や日本のサッカー事情について、少しでも多くの情報を得たいと思うのは当然のことだろう。1993年から約1年半、オランダのエクセルシオールでプレーした小倉とヒディンクの代理人が知り合いだったという縁で、2人の面会が実現した。

 小倉は、20年以上前の出来事をこう振り返る。

「ヒディンクはグランパスにすごく関心を示していました。だけど、『オランダ代表監督の話もありそうだから、もしそっちに決まったらグランパスには来ない』と言っていましたね」

 その返答の期限は11月11日だったが、ヒディンクから「もう1日待ってほしい」との連絡が入り、さらに「16日まで待ってほしい」と引き伸ばされた。小倉に話していた通り、ヒディンクのもとにオランダ代表監督のオファーが届いていたのだ。

 グランパス側はヒディンクとのリミットを16日に設定し直したうえで、次なる候補との交渉を急いだ。一方、チームは12日の清水エスパルス戦に0-2で敗れ、連敗が8へと伸びた。14日にはミルンに休養を与え、サテライトチームを率いていた三浦哲郎が監督代行として指揮を執ったが、16日のジェフユナイテッド市原戦でも敗れ、当時のリーグワーストタイとなる9連敗を記録した。

 ヒディンクに代わる新監督候補の来日が突如として発表されたのは、その翌日だった。

 当時、新たな候補として報じられていたのは、アメリカ代表の指揮を執っていたセルビア人のボラ・ミルティノビッチや、ブラジルのパルメイラスを率いていたヴァンデルレイ・ルシェンブルゴだったが、来日したのは、そのどちらでもなかった。