福田正博の心に残るもの。「世界で一番悲しいゴール」を決めた後で... (7ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

「あのとき、32歳だったんだけど、そろそろ(現役は)厳しいかなぁ、衰えてきたなぁ、と弱気になり、引退ということを考えさせられた。

 選手は、毎年ちょっとずつ成長していると思っているけど、外から見ていると、明らかに力が落ちてきているのがわかる。自分の感覚と外側の評価ではギャップがあるんだけど、(選手は)それを受け入れられない。(選手自らも)薄々わかっているけど、それを受け入れると選手生命が終わってしまうと思っているから、怖いんだよ。しかも、ベンチに座るという経験が少ないと、それを我慢できない。そこで、どう振る舞っていくのか。そういうことに初めて直面したシーズンだった」

 福田は当時の自分を思い浮かべて、複雑な表情を見せた。

 あのときの福田は「自分がやる」という気持ちを前面に出して、「自分が一番点を取っている」という自負もあった。ピッチで戦う選手にとって、そうしたプライドを持っていることは必要だ。だが、福田自身もいっぱい、いっぱいのところで戦っていたのかもしれない。

 俺がやる――そう言い続けなければ、自分が壊れてしまう。降格だけではなく、そんな怖さとも福田は戦っていたように思える。

 福田にとって、1999年は厳しいシーズンだった。しかし、残り少ないプロサッカー選手としての生き方を、改めて考えるいい機会になったのではないか。

 このシーズンから3年後の2002年、悲願のタイトル獲得にあと一歩まで迫りながら、その夢を果たせずに福田は現役を引退した。

 その翌年、浦和はナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で優勝し、初の栄冠を手にしたのである。

(おわり)
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