「鳥栖とともに...」と言い続けてきた
豊田陽平が韓国行きを決めた理由

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki photo by AFLO

 結局、5時間以上も話し込んだが、そのときの豊田は、前者を選ぶことで後者も捨てない、という人生を選択するつもりだった。

「基本的に契約を全うするつもりですよ。試合に出られなくなったからどっかに行く、という考えは僕にはありません。チームに恩を返し、身を粉にして働き、鳥栖にタイトルを」

 豊田は毅然として言った。その言葉に偽りはない。しかし鳥栖を愛しているからこそ、自分の状況も鑑(かんが)み、「このままではいけない」という思いも断ち切れなかった。

 鳥栖のエースとして、真剣に案じていた。

「砂の岩と書いて砂岩」という家族のような団結こそ、鳥栖の強さの源だったはずだが、その伝統が失われつつあるのではないか。戦い方も、ボールをつなげる選手が増えて洗練された一方、ゴールという選択肢があるならそれを優先し、早くボールを入れるべきではないか。いくつもの疑問が湧いてきたが、自身はあくまで一選手で、フロントの人間ではない。「こうするべきだ」という持論を口にするのを憚(はばか)った。そもそも、正解があるものでもない。

「ただ、鳥栖は自分の前にも歴史を作ってきた人がいます。僕はその初心を忘れたくはない。昔の鳥栖は、失うものがない挑戦者でした。それだけに謙虚で、どんな相手にも必死に戦った。自分はそういう中で、ぶれずに戦ってきたとは思っています」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る